八ツ山跨線橋
高輪ゲートウェイシティ
本設橋梁送り出し構台 京急品川駅連続立体交差事業
TAKANAWA GATEWAY CITYは延床面積約84万5000㎡の国内最大級のまちづくりを進めています。
広域交通結節機能を担う品川駅と、都心ターミナル駅へのアクセスに優れる高輪ゲートウェイ駅、東京の地下鉄ネットワークや羽田空港へのアクセスに優れた泉岳寺駅が連携し
、周辺地域・日本各地・世界各国から人々が集まる国際交流拠点「Global Gateway」を形成します。
建物名称は、「あらゆるものをつなぎ、共創し続け未来に向けて成長する」という意味の「Link」と、「100年先の心豊かなくらしのための実験場として、
その支柱となり伸び続ける」という意味をこめた「Pillar」をかけ合わせ、命名しました。
エキマチ一体のまちづくりを実験場として、多様なパートナーとともに、TAKANAWA GATEWAY CITYから世界課題の解決に資するソリューションを創出していきます
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高輪築堤は明治5年(1872)に日本初の鉄道が新橋・横浜間に開業した際、高輪海岸沿いの海上に鉄道を走らせるために敷設された鉄道敷です。
まちづくりを進める中で出土した高輪築堤の保存と活用を通じて、日本で初めて鉄道が走ったイノベーションの地としての記憶を、次の100年に継承していくことにより、
地域の歴史的価値向上や「国際交流拠点・品川」の実現に努めていきます。
国指定史跡の第7橋梁部および公園部の現地保存・公開(2027年度予定)に加え、信号機土台部を移築保存・公開することにより、当時の風景をそのままに実感できるようにします
さらに、先端技術を活用した展示等により、鉄道開業期のイノベーションを体感できるようにします。
高輪築堤の保存・継承の取組みについては、様々な分野の有識者および関係行政等からのご助言やご支援をいただきながら検討を進めています。
この地は江戸時代に高輪大木戸として江戸への「玄関口」の役割を担ってきた歴史を有し、明治期には日本で初めて鉄道が走った際に、
日本技術と西洋技術の融合でイノベーションを生み出した場所です。
その後、国鉄時代からJRとなってからも、主に東海道線や寝台特急車両を留置する車両基地として使われていました。
時代の変化と共に、上野東京ラインの開業や寝台特急の減少により、車両基地における留置車両数を減らすことが可能となり、
基地のスリム化が進みました。これにより約13haの用地が生み出され、この空いた土地を有効活用すべく開発計画が進むことになりました。