名古屋6・彦根1

17:05  背中で語ってますが 気にしない

乗り換え口で待ち合わせて

天守 (てんしゅ)

天守

国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なります。また、破風は変化の妙に富んでいます。
天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ
、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられています。
この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさは見逃せません。
彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、
そそり立ち端正な佇まいを見せます。逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。
また、一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。

15:06名古屋へ

尾張の首府が甦る【歴史織りなす 清須のお城】

 室町時代応永12年(1405年)、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てられたのが清須城の始まりといわれています。
 文明8年(1476年)戦乱により下津城が焼失した後の、文明10年(1478年)守護所が清須に移転することで、清須が尾張国の中心地となります。
京や鎌倉に連絡する往還と伊勢街道が合流する交通の要衝でもあり、尾張の政治・経済・司法の中心地として繁栄を迎えます。

 弘治元年(1555年)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城、尾張を統一掌握したころの清須城の基本構造は、守護の館と同じだったと考えられています。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。
 天下統一へ突き進む途上、本能寺の変で斃(たお)れた信長公の跡目を決める清須会議の後、城主となった次男、信雄によって改修された清須城の城郭は、
天守を備え東西1.6km、南北2.8kmにも及ぶ巨大な郭域の中に城下町のあらゆる機能を備えた城塞都市として過去最大の規模に達します。
 その後城主は、織田家から豊臣秀次(関白)、福島正則(秀吉子飼の大名)と移り、天下分け目の関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城として重要な軍事拠点となります
関ヶ原以後、城の主は松平忠吉(家康四男)、徳川義直(家康九男)と変遷しますが、この頃の清須城下は、人口6万人を数える賑わいを見せ、朝鮮通信使の記録にも「関東の巨鎮」と称され、
また、清須城は「天下の名城」と讃えられました。
 慶長15年(1610年)徳川家康は、清須城廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、町の機能全てが移転する「清須越」が行われました。
これにより尾張の政治・経済・司法の中心は清須から名古屋へ移り、清須城とともにその城下町は歴史から姿を消し去りました。なお、名古屋城築城に際し取壊した清須城の資材が再利用され、
特に名古屋城御深井丸(おふけまる)の西北櫓は、「清須(洲)櫓」とも呼ばれ清須城天守の古材でつくられたといわれます。
 平成元年(1989年)、四百年近くの年月を経て歴史ある城が「清洲城」として天主閣をはじめ、芸能文化館、清洲城広場などをしたがえ地域のシンボル、平成のお城として甦りました。

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オアシス21のシンボル「水の宇宙船」

歩道橋ですか

テレビ塔  初めて上ります 13:30

またか・・・ と言う思いは全員です

愛知県名古屋市中村区名駅1−1−4 JRセントラルタワーズ13階
JR名古屋駅すぐ JRセントラルタワーズレストラン街13階
なだ万 茶寮 名駅店 JRセントラルタワーズ

本当のお茶をします

楽々園 (らくらくえん)

楽々園

槻(けやき)御殿は藩主の下屋敷で、玄宮楽々園の名で国の名勝に指定されています。
四代藩主直興が延宝5(1677)年に造営。大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、工夫を凝らした部屋が残っています。
楽々園の名は「山を楽しみ水を楽しむ」「民の楽しみを楽しむ」という心からと言われています。
12代藩主直亮が文化年間(1804-1817年)に佐和山や内湖が見える楽々之間を造ってから槻御殿という正式名より、楽々の名が有名になりました

タヌキがお出迎え

ホテルのレストランから

石になってます

最初のひこにゃん発見

部屋に荷物を置いて 18階でお茶します

15:33 遠くに巨大ナナちゃんがいます

高島屋の大階段

踏切の障害物確認で4分遅れで名古屋に到着   11:17

約2時間の旅で そろそろお昼です

9:54  普通電車に乗ります

9:50 しらさぎ L特急 +1100円です

15分がリミットだそうです

休憩に入ります

12:52 いつものスタイルで彦根城を目指します

13:31 ひこにゃん は下の博物館に現れるんですって

精一杯の動きだそうです

花を持って

暫くお休みしますねーー

ご丁寧に

ゆーーっくり下りて

またご挨拶

玄宮園 (げんきゅうえん)

城の北東にある大名庭園で、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられました。
4代藩主直興により延宝5年(1677年)に造営されました。
毎年9月中「虫の音を聞く会」が催され、大名庭園ならではの趣が味わえます。

山道ですよ

日傘で優雅に見えますが

シルエット

12:58 入口に到着

わかりにくい説明があり

10:56  めざとくエレベータを見つけて

スイカ はブザーがなりました

10:41米原着

10:55 彦根着

10:50発姫路行きで彦根へ

目の保養が続き・・・・

近江牛のせいろ蒸し

豪華ランチですよ

和のスイーツです

12:51 完食 ごちそうさまでした

11;40 名古屋着

10:33 暑そう・・・・

解体寸前だった彦根城

彦根城は、明治に解体の危機にみまわれました。しかし、今も往時の面影が今日によく残っているのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。
一説には、随行した参議大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説。
また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、住持攝専(せっせん)夫人で、天皇の従妹(いとこ)にあたるかね子が奉上したとも言われています。

彦根城の歴史

彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。

天秤櫓 (てんびんやぐら)

天秤櫓

表門から坂を上がって行くと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。
この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤櫓です。まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。
日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。
また、橋は鐘の丸から渡され、廊下橋と名が残っています。今は架け橋ですが、往時は両側に壁があり屋根のある橋でした。中の人の動きが外からは見えないようにしてあったといわれています

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H27年
7月19−21日
JTB 35,340
7月19日 品川和楽紅屋 947
清洲-名古屋往復 400
タクシー往復 1,000
清洲城入場 300
お茶(名鉄グランド) 400
マッサージ 6,700
高島屋おにぎり 320
7月20日 名古屋-彦根 特別快速 往復1490*2 2,980
ランチ ホテルで 2,376
彦根城 600
紅茶 250
茶葉 1,944
お土産 8,397
お茶 ペット 200
夕飯ローソン 701
7月21日 宅配 土産 2,221
マッサージ 6,480
名古屋-久屋大通 200
テレビ塔 600
栄-名古屋 200
なだ万 4,752
ういろう 921
ういろう発送 2,501
80,730

錦通と久屋大通の交差点の北東に位置する。
建設前は、NHK名古屋放送会館と愛知県文化会館があったが、
東に隣接する栄公園と敷地を入れ替える形で名古屋市が整備し、
栄公園にはNHK名古屋放送局と愛知芸術文化センターが建設された。


当初の計画には、栄のバスターミナルをすべて集約した施設を地下2階に設置する構想もあったが、
最終的には久屋大通公園の栄バスターミナルを残したほか、施設を半地下構造とすることにより事業費を圧縮した。
マスコットキャラクターとして、恐竜をモチーフとした「いやしす」が設定されている。
当施設では、日本生命、レオパレス21、寿がきやなど多くのテレビCMの撮影に使われた実績がある。

テレビ塔

お土産

1944

9:22彦根発 

鈴を鳴らします

220段階段なんて知らなかった・・・・・・

半分ずつ両方食べて 満腹

蒸し寿司  2376円

観光客はいないようですが・・・

16:56 裏からホテルに戻って

16:51 明日はホームで待ち合わせ 確認して

13:44 タクシーを呼んで 清洲城へ

2501

画面大きさの調整は Ctrl  + または− で

市営東山線 高畑行きで5分

14:10 帰りは栄駅から名古屋まで

ちゃんと来てくれて・・・

16:46 定刻に到着 荷物持ちのお兄さん寝てるのか?

15:18 まだ青空です

16:06 怪しい雲が出て来ました

久屋大通(ひさやおおどおり)は名古屋市中心部の栄を南北に貫く道路で、100m道路のひとつである。
中央分離帯に ... 戦後、名古屋市の戦災復興事業で誕生した久屋大通久屋大通公園を挟んで東西に分かれて、
それぞれ一方通行になっている

市役所

名古屋城  今回はパスです

9時54分の大垣行きを待ちます

夢京橋キャッスルロード

彦根城のお堀にかかる京橋からすぐ。白壁と黒格子の町屋風に統一された街並みは江戸時代の城下町をイメージしています。和菓子屋、洋菓子屋、地元ならではの商品を扱うお店が軒を並べ、古き時代と新しい時代の薫り漂う「OLD NEW TOWN」 です。

13:37 楽々園に行く道

20分の見物で下山です

11:13 ホテルに到着 徒歩10分

テレビ塔

しょうが味 茶碗蒸し

とうもろこしご飯

刺身 漬け物

20分以上あるので涼しい待合所で

スイカで精算するため最小金額の切符を購入 

コンビニを教わって 夕食を調達します

16:16  コンビニ目指して 

和紅茶 250円

この通りにコンビニはありません

13:07 休みながら もう少し

13:04結局杖を持ってのぼります

見て涼むだけ  暖かいミストですよ

そろそろ登場でーす

奥からでてきます

13:14  琵琶湖が一望できます

13:31  移動しながら撮影

なだらかに見えますが

これは大変な道です

杖に感謝 持ってて良かった

15:02  新幹線ホーム

3日間早いですね

三日目 快晴

8:00 朝食バイキング

廊下橋  天秤櫓にかかる橋

11:51 お昼を食べて

サラダは自由に取って

これはキティ ひこにゃんか?

人力車のお兄さん

9:31発 米原行き 約70分で米原です

9:06 到着

名鉄グランドホテル

お仕事中

1階 プロローグゾーン
・・・清須の成り立ちと歩みを知る

 朝日遺跡に代表される古代から中世、尾張国の首府であった時代を経て
、「清須越」から平成17年の清須市誕生、平成21年の春日町合併にいたる清須の歴史をダイジェストでご覧いただきます。

きよすの表記について

 「きよす」の表記は、文献その他歴史的にも「清須」「清洲」の両方の記載が見られます。古くは「清須」の表記が多く後に「清洲」の表記が多くなっています。
そこで、今回の展示リニューアルに際しては、
慶長15年(1610年)の『清須越』を境目に清須越以前を「清須」、「清須城」と表記し、それ以降の宿名、町名を「清洲」と表記しています。
また、現在の施設固有の名称としては「清洲城」として表記しております。

カメラの上にツバメの巣

エレベーターまで長い

■出発
名古屋
日付:2015/ 7/19 時刻:13:20

■到着
清洲
日付:2015/ 7/19 時刻:13:27

13:17 名古屋駅 金の時計

13:05 ミッドランドスクエア

12:00に繰り上げてもらい無事着席

今回もよろしくお願いします。

 郷土の英傑・織田信長公の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ天下平定を目指す武将が重要拠点としていた清須城。
平成元年に現在の場所に『清洲城』として再建整備されました。金色に輝く鯱を屋根にいただく『清洲城天主閣』は、御殿の内部に「黒木書院」「芸能の間」を配した『芸能文化館』、
五条川に架かる赤い『大手橋』とともに、清須市のシンボルとなっています

7月19日(日) 一日目 

3階 覇者たちのルーツ・清須ゾーン
・・・清須が育んだ先人達の偉業にふれる

 信長公の偉業を中心に、秀吉・家康をはじめ信長公麾下の武将たちと清須との深い関わりあいを紹介し、「覇者たちのルーツ・清須」が歴史に果たした役割、功績を検証します。

4階 天下一吉例ゾーン
・・・清須の天主で浩然の気を養う

 最上階の4階では、「吉例の地・清須の天主に立ち、浩然の気を養う」をコンセプトに、先人たちが夢をかなえていった清須の眺望を楽しんでいただきます

銀河の広場(吹抜公園)[編集]

普段は広場だが、時々ステージがメインのイベントが行われる。
広場の中央、南寄りにはエレベーターが設置されており、このエレベーターで水の宇宙船に行く事ができる。
広場の周りには32店舗の商業施設が銀河の広場を囲む様に所在し、売り場面積は約4,100m3ある。
2009年から冬季にはスケートリンク(命名権により「トヨタホームリンク」と呼ばれる)が設置されている。リンクには氷ではなく、
特殊プラスティックにワックスを塗ったものを使っており、この為転んでも濡れることがない

8397

オアシス21(オアシスにじゅういち)は、愛知県名古屋市東区東桜1丁目に所在する、
公園やバスターミナルなどの公共施設と商業施設との複合施設で、2002年(平成14年)10月11日に正式オープンした。
なお、公園施設の管理・運営は第三セクターの栄公園振興株式会社が行っている。

90mまでのんびり上ります

この電波塔は1953年9月19日、当時の町名だった栄町付近で着工した。
現在建っている土地は当時の名古屋市助役であった田淵寿郎によって復興のシンボルになるという理由で、有償貸与されている[1]。
専門分野ごとで7社が担当し、昼夜を通して工事が行われただけでなく、建設許可の際、「塔の直下に地下鉄を通す」事を条件に建設されたため、
4本の脚部は深さ6mまでしか埋め込まれておらず、将来の地下鉄工事に備えるためにだるま式構造と呼ばれる4本の脚を鉄筋コンクリートの
アーチで結合して固め、重心を下げる工事も行われている[2][注 1]。

1954年6月19日竣工、翌20日には開業・電波の発射を開始した。設計者は内藤多仲。名駅地区を中心に超高層ビルが乱立する中でも、
通称「名古屋のテレビ塔」「栄のテレビ塔」また単に「テレビ塔」とも呼ばれ、名古屋市中心部のシンボルとして親しまれている。
用途 電波塔・展望台
設計者 内藤多仲・日建設計
施工 竹中工務店
管理運営 名古屋テレビ塔株式会社
高さ 180m
着工 1953年(昭和28年)9月19日
竣工 1954年(昭和29年)6月19日
開館開所 1954年(昭和29年)6月20日

13:40  エレベーター   

久屋大通

13:13 名古屋駅

市営桜道線 徳重行きで久屋大通へ5分

11:41 名古屋最後のランチはなだ万

11:01 緊急停車  なんだぁ??

12:50 彦根城へ レンタサイクルで

結構都会?

14:41 タクシーを呼んで清洲駅へ

新幹線が通っています

赤だし

12:22

わらび餅

限定20食だそうです

名古屋に戻ってきました

10:38 結局先頭車両まで来ました

ほぼ全員移動したようですよ

10:33 大垣駅で名古屋行きホームへ

座れるか?

米原 27分着

向こうは新幹線ホーム

9:14 彦根駅に到着

京都に行く計画もありましたが・・・ 結局何かと都合が合わず   名古屋に帰ります

9時10分のホテルバスに乗ることにします

何とか間に合って

ライトアップされて 幻想的

19:16 お昼たくさん食べたので・・・

お城の前 松が1本無ければ良いのに・・・

19:06 夕焼けの彦根城

彦根城博物館

彦根城博物館は、江戸時代の彦根藩の政庁であった表御殿を復元したもので、井伊家に伝わる美術工芸品や能や茶器の愛蔵品、古文書の展示等を展示しています。
また、表御殿の中央に占める能舞台や藩主が日常生活をいとなんだ「奥向き」は、御座の間や茶室・庭園が復元され、館そのものが博物館として楽しめます。
国宝『彦根屏風』を所蔵、毎年春に展示され、能舞台では春と秋に能が催されています。

観覧料金:一般 500円 / 小・中学生 250円

ゆるーーーい パフォーマンス

いろは松は中濠沿いの松並木で、江戸時代「松の下」と呼ばれていました。
この場所は藩主の参勤、着城で必ず通る場所で、当時47本植えられていたことからいろは47文字にちなみ「いろは松」と呼ばれるようになりました。
当初、人馬や車などの通行の邪魔にならないよう、根が地上に張り出さない土佐松が植えられました。

13:13 

かわいい

杖ありまーす

彦根城の今

近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝です。
彦根城は、平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の34種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。
また、彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。

13:14 まだですかーー

13:49 無事下山 ホッ

13:17  ついたーーー 長い13分でした

国宝の天守と重要文化財の櫓、美を誇る名勝玄宮園をゆっくり歩いて見てまわるコース。
城山からの眺望や、天守内部から琵琶湖を臨むパノラマは忘れられない旅のひとこまとなることでしょう。
また、名勝 玄宮園から仰ぎみる天守は悠久の歴史を感じさせてくれます。
聴鐘庵(時報鐘)・鳳翔台(玄宮園内)では 薄茶をいただくことができます。
お休み処もあって、ゆっくり歩いて90分のコースです。

焼き魚

水菜のお浸し

煮もの

そぼろ錦糸卵 2376円

8:16  今日はひこにゃんちに行きます

二日目  快晴

8:17 ヒコーキ雲

15:27 立て替え中の大名古屋ビルヂング

19:28 夜景

窓からの景色

15:49 清州駅に戻ってきました

大根畑

清洲城天主閣常設展示
2階 戦国の都・清須ゾーン
・・・関東の巨鎮・清須の全貌を体感する

 清須城を中心に「関東の巨鎮」と言われた清須城下の都市機能の全貌を知る「清須城と城下町」がテーマの展示です。
戦国時代の清須城下の喧騒や信長公麾下の武将たちの暮らしなど清須の全貌を体感していただきます。

石落とし

3分で到着

ビショクマイモン ナゴヤテン和の食材を五感で味わう美食空間

美食米門 名古屋店

急階段 やはりお城

10:07 品川発 のぞみ221号

H27年7月19-21日
彦根・名古屋
名鉄グランド1
彦根キャッスル1