平成26年
元日 午前0時開門、午前2時除夜の鐘、
午前4時より香水加持法要
正月三ヶ日 初詣(午後1時より修正会大祈祷厳修)
1月2日 初内供(午前9時より厳修)  
1月16日 初開山(午前9時より厳修)  
1月18日 初観音(午前10時より厳修)初牛玉さん(門前市)
1月21日 初弘法(午前9時より厳修)  
1月28日 初不動(午前10時より弘法大師御作厄除け不動明王御宝前において護摩祈祷厳修)
2月3日 節分星祭り(午前10時)護摩祈祷
2月18日〜3月18日 梅つくし展
2月22日
(2月第4土曜日) 初午(午前10時30分、大森社、子供御輿町内巡行)
3月彼岸 春季彼岸会先祖供養(開白・中日・結願)
3月18日〜6月30日 春季「石山寺と紫式部」展
4月21日 弘法大師(午前10時、御忌法要)  
5月5日 石山祭り
(三十八所権現社大祭、午後2時30分大御輿境内巡行)
5月8日 お花祭り(午後10時より厳修)
5月18日 青鬼祭
8月9日 千日会法要
(午前10時より厳修、午後8時より厳修)
石山寺花火大会(午後8時15分より)
8月13日〜16日 孟蘭盆会(毎日午後4時より)  
8月15日 世界平和祈願法要(正午)
8月16日 送り火法要(午後3時30分より、於・表境内)
8月26日 毘沙門会法要(午前10時より)  
9月1日〜11月30日 秋季「石山寺と紫式部」展
9月大彼岸一週間 秋季彼岸会
9月6日〜8日(予定) 秋月祭
9月8日 中秋の名月
11月15日〜30日 もみじライトアップ
(石山寺狂言十八番は15・16・21〜24・28〜30日に開催)
12月1日 三十八社以下鎮守お火焚き(午前6時より)
12月6日〜8日 仏名会(午後1時より厳修)
(8日のみ)大森社お火焚き(午後3時30分)
12月13日 大掃除  
12月18日 終観音(午前10時より)
12月21日 終弘法(午前9時より)  
12月26日 正月用餅つき(午前8時より)  
12月28日 終不動(午前10時より)
12月30日 迎春準備
(午前8時30分より、正月用餅かざり・〆縄はり)
12月31日 大晦日
京都16
15:35 石山行き これに乗ります
三井寺 15:43発
浜大津 15:46着

浜大津 15:48発 市役所行き
市役所 16:12着

市役所  16:29発
二条城前 16:32着

H26年11月27-29日
京都国際ホテル2

BACK
道八
楼門

楼門

この建物は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされてきました。

秀吉の母大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する、と記したいわゆる“命乞いの願文”が伝来しています。

しかし造営伝承と伝来文書との整合性については多少の疑問がありました。ところが昭和48年に楼門の解体修理が行われたところ、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見され、伝承の正しかったことが確認されました。神社の楼門の規模としては最も大きいものに属します。

できた時から気になっていましたが初めて入ります

別行動にて いってらっしゃーい

エキナカで食べて帰ります

15:16 新幹線で見る虹は初めてです

クリスマスツリー 夜はライトアップします

有栖川宮旧邸 有栖館(国登録有形文化財)

昭和館(国登録有形文化財)

18:00  レンタサイクル店で紹介してもらったイタリアンのお店

出口に向かいます

御土居について(京都市 文化市民局 文化財保護課の情報を参考にしています)

概 要

 御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、
天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
 台形の土塁と堀(堀の一部は川、池、沼を利用)からなり、その延長は22.5キロメートルに及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりにそって築かれました。
土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所には七口を設け、洛外との出入口としました。鞍馬口、丹波口などの地名はその名残です。  
 江戸時代になると天下太平の世が続き、外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり、また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて
次々と取り壊され、北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。
 昭和5年(1930)、市内に残る御土居のうち8箇所が、京都の沿革を知るうえに、また、広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定
、昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加され、現在9箇所が指定地となっています。
 また、これら指定地以外では、北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも、部分的に御土居が残っています。

御土居

位 値

秀吉時代の御土居の位置に関する記録は現存しないが、現存する遺構や江戸時代の絵図からその位置が推定されている。

御土居の囲む範囲は南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長の形をしている。御土居は必ずしも直線状ではなく、特に西側では数箇所の凹凸がある。全長は約22.5kmである。北端は北区紫竹の加茂川中学校付近、南端は南区の東寺の南、東端はほぼ現在の河原町通、西端は中京区の山陰本線円町駅付近にあたる。また東部では鴨川(賀茂川)に、北西部では紙屋川(天神川)に沿っており、これらが堀を兼ねていた。

御土居の内部を洛中、外部を洛外と呼んだ。ただし、御土居の内部であっても鞍馬口通以北は洛外と呼ばれることもあった。

3個目は サッカー少年の為のお守りを買います

北野天満宮の境内西側には、天正19年(1591)豊臣秀吉が洛中洛外の境界また、水防のために築いた土塁「御土居」の一部が残り史跡に指定されている。
その史跡御土居には、現在でもかつてからの自然林が残り、四季に応じ様々な美しさを感じることができる。
なかでも秋の紅葉は菅公がこよなく愛でられた梅と同様に御縁の樹木で、御土居一帯にはおよそ250本、樹齢350年から400年のものが数本あり、菅公の御神徳を偲ぶかのごとく鮮やかに彩られる。
また、御土居にはかつて紙漉き場であった紙屋川が流れており、赤や黄に見事に染まった木々が紙屋川の水面に映え渡り錦秋の世界へ誘う。

直進して大将軍八神社へ

馬代一条交差点
 行きはここから左折  一回りしました

細川勝元が宝徳2年(1450年)に徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した寺。

方丈庭園(史跡・特別名勝) - いわゆる「龍安寺の石庭」である。幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな庭である。
巨大な中国の山水の世界を日本人独特の感性を研ぎ澄まして写した「枯山水」の庭である。最大の特徴は、「水を感じさせるために水を抜く」ということで、水を見立てられるようなものを作る。
白砂も大海をイメージし、岩は島というより山である。近世の地誌類には、室町幕府に仕えた相阿弥の作庭と伝えるが、作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない。
作者として他に推測されている人物として、創建した細川勝元、その息子細川政元、開山の義天玄承、金森宗和らがいるが、作者については未だに不明[1]。庭石の裏には「小太郎・□二郎」と刻まれた刻印がある。作者を示唆する暗号ではないかとされるが憶測の域を出ていない。

15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているという。しかし、中の部屋から1ヶ所だけ15個の石全てが見える位置がある。
ハルト・バン・パンダとマイケル・ライオンズによれば、それは方丈の間の中心であり、15の石の配置は、ここを根元とする「二分岐構造」になっているという。
ただし、この程度の面積の庭に15個の石を並べれば、そのうちの1つは隠れて見えなくなるのはむしろ当然のことだとする意見もあり、これを表現意図とする考え方には賛否両論がある。
なお、東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に1つ足りない14は「不完全さ」を表すとされている。
また、日本には、日光東照宮の陽明門にみられるように、「物事は完成した時点から崩壊が始まる」という思想があり、建造物をわざと不完全なままにしておくことがある。

この庭には近世以来「虎の子渡しの庭」の別称がある。この庭を「虎の子渡し」という中国の説話と結び付けるのは伝承にすぎないが、参考までに説話の概略を以下に示す。

虎は、3匹の子供がいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。
そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す
。次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。
その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る。
つまり、3匹の子虎を渡すのに3往復半する訳である。龍安寺の石庭はこの様子を表したものだという訳である。

イギリスのエリザベス女王が1975年に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望。女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道された。
そのため昨今では世界各地での日本のZEN(禅)ブームと相俟って日本人より海外の観光客の来訪者の比率が高いといわれている。
庭園
元信の庭狩野元信の作と伝わる枯山水の優美な庭園で、枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれている。
余香苑(よこうえん)1963年(昭和38年)から3年の月日を費やして造園家の中根金作が作庭した昭和を代表する名園で、
大刈込みの間から三段落ちの滝が流れ落ち,深山の大滝を見るような風
情がある。水琴窟もある
神泉苑は、平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、
八町の規模を有する苑池であり、禁苑とされています。

苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、
敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、
右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていました。

地下鉄東西線建設に伴う発掘調査によって、
大池の北岸、泉から池に流れ込む小川(遣水)など庭園の北部を検出しています。
小川河口のすぐ西側の池の北岸には、長さ約4mを測る厚い板材が設置されており、
船着き場の足場板と見られます。
ここでは、船着き場の足場板を検出状況に即して復元展示しています。
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き、
貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されます。

◎祈雨

天長2年(824)淳和天皇の勅命により
弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈られ
北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)された。
日本国中、雨が降り、人民が大いに喜んだ。
これ以降神泉苑の池には善女龍王がお住みになるという。

◎祇園祭と神泉苑

貞観5年には疫病が大いに流行り、神泉苑にて
多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われた。
全国の国の数、66本の鉾を立てて、
神泉苑の池にくりこみ、厄払いをした。
後世には、これが町衆の祭典として、
鉾に車を付け、飾りを施して
京の都を練り歩く、祇園祭へとなる。

◎五位鷺(ごいさぎ)

醍醐天皇が神泉苑に行幸になったときに
鷺が羽を休めていた。
帝は召使いにあれを捕らえて参れと仰せられた。
召使いが近づくと鷺は飛び立とうとした。
召使いが「帝の御意なるぞ」と呼びかけると
鷺は地にひれ伏した。
帝は大いに喜ばれ、鷺に「五位」の位を賜った。
以降、鷺は「五位鷺」と呼ばれ、
謡曲にも謡われるようになる。

モデルコース

貸出が二条城連携店の場合、
 27インチ電動アシスト自転車か20インチ電動アシスト自転車をレンタルすること
 になります。(※27,20インチ以外の自転車をご希望の場合は別途ご相談下さい)
貸出と返却が二条城連携店の場合、(返却時刻は18:00厳守
 レンタル料金1日2000円/台と3時間1000円/台
貸出が京の楽チャリ、返却がが二条城連携店の場合、(返却時刻は18:00厳守
 レンタル料金+配送料=2300円/台
貸出がが二条城連携店、返却が京の楽チャリの場合、
 レンタル料金+配送料=2300円/台
香の物

本堂横から下ります

一応メールしましたのでゆっくりします

のどが渇いたのでお先にお茶します

蓮如堂

2番線へ

帰る頃に晴天なり

今日は伏見稲荷まで行きます

三条で京阪に乗り換え

御池通に出て

手すりの朱も鮮やか

ここが御土居の上だそうです

展望台です

大将軍八神社

退蔵院

ふぐ造り、ふぐ鍋、ふぐの唐揚げ。さらに、、たらば蟹の焼き物。
冬の味覚を存分にお楽しみいただける、全10品のお献立です。
プラン内容

前菜   晩秋の取肴五種盛り合わせ
造り   ふぐ薄造り 薬味 ぽん酢
鍋物  ふぐ鍋(てっちり)
焼物   焼きたらば蟹 鰆幽庵焼き
油物   ふぐの唐揚げ 青唐辛子
留椀   赤だし仕立て
食事   
デザート  フルーツと甘味

石山寺 13:58 発
三井寺 14:17 着

14:30 到着 徒歩12分

観音堂への階段

15:06 琵琶湖を見渡せる山の上

仁王門 表から

本堂すぐ右の 源氏の間
国宝 石山寺本堂
石塔後ろの岩石
天然記念物 石山寺硅灰石
相変わらず派手な車体です

ごちそうさまでした

3日間もたちまち過ぎて また来年ですか・・・

14:57 待合所も座れませんでしたのでホームで待ちます

最後のお土産購入場所で漬け物を買って

50年  光陰矢のごとし です

人がいない一瞬ですね

おいしいお茶に満足して お土産に茶葉購入 1000円

京都には、洗練されたもてなしの文化や長年にわたり
受け継がれてきた美術・工芸の技、
そして四季とともに暮らす美しい生活文化が息づいています。

ギャラリーカフェ「京都茶寮」は、そのような古都千年の
文化に触れる出会いとくつろぎの空間。

宇治茶と季節の京菓子でのゆかしいおもてなしと、
現代の匠たちが創りあげる工芸品や京の逸品のご紹介など、
京文化のエスプリをご堪能いただけます。

前回は暑くて大急ぎでした

左官師・佐藤ひろゆ き氏による紅殻(べんがら)の土壁。

京都駅もずいぶん慣れましたが・・

13:05  京都駅と言えばここでしょ

12:23 さっ 現実に戻って

JR 元山手線で京都駅まで

雨ですが・・・

10:34 疎水を渡って

新幹線出口まで迎えに来てくれました

N700Aが増えました

16:35 今日も富士山が美しい

一応タワーも

15年前にも来ましたが 変化あまりなし

創業70年余だそうです

やはり土曜日なので混雑しています

参道 (駅から向かって左側)

3年前の夏に来ましたが

中学生時代を思い出します

JR奈良線を渡り

10:17発

雨には濡れません

10:30 京阪伏見稲荷着

このホテルもあと1カ月で閉館ですか

二条城の前を通り過ぎ駅へ

9:55  傘を買って出発

約1時間のお食事 とてもおいしく満足でした

デザート  

紅茶

蠣のクリームパスタ

マグロのホホ肉のラビオリ

聖アグネス教会(京都市登録有形文化財)

DINING+CAFE&BAR 閏

ダイニングカフェアンドバーウルウ

明治館(国登録有形文化財)

15:32  ホテルに向かいます

丸太町通りに出ます

白峯神宮地主社は、平安朝の昔から鞠の守護神「精大明神」を、お祀りしています。
蹴鞠の道の宗家である公家の飛鳥井家が、邸内に祀って代々尊崇され続けてきました。
平成13年4月には蹴鞠の碑が完成し、碑中の鞠は、球技上達の「撫で鞠」として特に有名です。

球運を授かりたい方は、
一、鞠の守護神「精大明神」を二拝二拍手一拝の作法でお参りして、
二、縁起の石鞠を1回廻して球運を授かっていただきます

お茶とお菓子が頂けます

糖分補給して

これは元々の赤かも  紅葉でした葉で無いようです

13:05 なにやら期待薄な雰囲気ですよ 
外からモミジが見えませんでしたので

外からは想像できませんでした

銅の屋根を葺き替えています

15:25  お土産を買って一度ホテルに戻ります

旧日本生命ビル

14:46 門だけ見て

本能寺

現在の本能寺は1587(天正15)年に豊臣秀吉によって都市計画による区画整理を名目に直線距離で1.2kmほど離れた場所(現在の中京区寺町御池下る)に移動させられた。本能寺跡の所在については、元本能寺町や本能寺町の町名などから旧京都市立本能小学校付近と推定されていた。
しかし、1992(平成4)年に小学校の廃校後に行われた発掘調査により、織田信長の定宿だった当時の遺構が発見されて話題を呼んだ。
現在では石柱が建立されている北側の一帯で、南は蛸薬師通、北は三条通、東は西洞院通、西は油小路に囲まれた区域とする説が有力視され、寺の大きさも東西約100m、南北約200mの規模を有していたものと考えられている。
旧本能小学校は、現在では京都市立堀川高等学校本能学舎と京都市本能特別養護ルームの施設となっていて石碑がある。

この辺は骨董屋が多いです

苔の島は春になると桔梗が美しく咲きます
天台圓淨宗 大本山 廬山寺
廬山寺(ろざんじ)

紫式部が育ち、未婚時代を過ごしたのは藤原兼輔(紫式部の曽祖父であり、堤中納言といわれる)が建てた邸宅であり、父・為時の邸宅においてでした。
この邸宅で結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆しました。それは現在の廬山寺の境内を中心とする処に営まれていました。
また、源氏物語の花散里の屋敷はこのあたりであったといわれています。
源氏庭は、白川砂と苔の庭です。源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことであり、紫の桔梗が6月末から9月初め頃まで静かに花開きます。
源氏物語執筆地 紫式部邸宅址

そろそろ廬山寺(ろざんじ)

14:09  もうすぐです

同志社大学

御苑の北側を走っています

14:04  ではホテルに帰る道すがら どこかに寄りますか

公式試合で使われたボールたち

13:55 無事3人分のお守りは確保できました

プロサッカー選手が多く訪れるそうです

白峰神宮

12:41 午年生まれの方位よけを買います

12:34 仁和寺から5分 妙心寺まで戻って来ました

妙心寺の長い塀 

12:08おぼろ山菜そば  800円

12:54 5分で到着

二つ目のお守りを買います

梅園を通って出口へ

13:30 意外に堪能できました

13:32 お守りはあと一つ

13:08 もみじ苑から社殿が見えます

なんとあでやかな

鈴の下だけ長蛇の列です

二人目のお守りを買います

北野天満宮

3年前にバッテリー切れで通った道です

11:58 前回食べたお蕎麦屋さんへ

仁和寺 仁王門

11:46 約40分のお散歩でした

晩秋の「鏡容池」畔である。池周辺には楓の木が沢山植えられており、紅葉の季節には見事に色づく。
また、桜の木も何本か植えられており、春には盛大に花を咲かせる

見所
方丈南側の枯山水庭園(史跡・特別名勝)が石庭として名高い。二方を油土塀で囲み、東西30メートル、
南北10メートル余りの長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3に配置したもの。
これは一般に、虎の子渡しの名で知られている。

11:16 修学旅行以来です

「山門」から北の方向に「庫裡」に向かって鏡容池畔に沿い参道が続いているが、紅葉の季節には左の写真のように池畔の参道周辺が赤や黄色で染まる
左の石組略図にあるように、15個の石は方丈から見て、左からそれぞれ5個、2個、3個、2個、3個の石でできた五つの組になって置かれているが、
方丈からこれら15個の石の全てを見通すことのできる場所はない。

石庭へ

■鏡容池(きょうようち)
静かな湖面が鏡のように木々を映す境内の鏡容池。
桜や雪柳、楓(カエデ)などが四季を通して、池を美しく囲む。とくに桜の美しさは有名である。この鏡容池は徳大寺家の山荘の遺構であった。
平安時代には、貴族が船を浮かべて遊んだという記録もある。

 

入口まで長いです

11:00 なだらか道を選んで少し遠回りします

大きな駐車場の片隅に駐輪場がありました

11:12  約10分で到着

建造物
方丈(重要文化財) - 内部の襖絵は狩野光信の高弟であった狩野了慶の筆によるもので、桃山後期の優れた遺品とされる。
(内部は通常非公開)
大玄関(重要文化財)

春はこんなに美しい桜  大玄関にあるJRのポスター

10:47  大玄関の紅葉 満喫しました 

この広大な庭園は造園家・中根金作氏の設計によるもので、昭和38(1963)年に着工し、3年の月日を費やして完成しました。
余香苑(よこうえん)は伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国でも有数の昭和の名園と言えます。
構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥行きが生まれ、庭園が広く見えることなどが例としてあげられます
。一年を通して、紅しだれ桜や藤、サツキ、蓮、金木犀、楓などが彩ります
余香苑完成当時に植えられた樹齢50年ほどの紅しだれ桜。
平安神宮にある紅しだれ桜の孫桜で、瓢箪・なまずが彫られた門をくぐるとすぐに皆様の眼前に現れます。
2013年春の「そうだ、京都いこう」キャンペーンに使用され、大変注目を集めました。
方丈(重要文化財)
慶長4年の建立。境内で唯一の朱塗りの建物です。
三門には空・無相・無作という、禅の境地による解脱の意味が託されています

10:25  20分で到着

広い敷地は自転車通行可で通り抜けできます

南総門

10:23 発見

9:59  とりあえず最初の見物を終えて

黄葉も美しい

竜の船でお食事ができます

どうやら裏から入ったようです

9:48 到着

神泉苑

選べる店舗・拠点

東山三条店(地下鉄東西線 東山駅徒歩2分、京阪本線 三条駅徒歩8分)
京都駅七条店(京阪本線 七条駅徒歩4分、JR京都駅徒歩11分)
京都駅ビル東駐輪場(JR京都駅徒歩300m)※要予約
嵐山提携店(渡月橋東北角)※要予約
二条城提携店(二条城徒歩400m西へ)※要予約
ご宿泊先への配送(有料)

9:43 神泉苑に向かいます
1階レストラン前の庭

アゼリア

盛りつけが・・・・

店内の大きな窓からは白鳥が優雅に泳ぐ、
歴史情緒溢れる日本庭園をご覧いただけます。
お料理にも四季折々を取り入れて、
ゆったりとおくつろぎいただける、
そんなレストランを目指しております。

炊き込みご飯

留椀   赤だし仕立て

12:25   トワイライトエクスプレスに会えました ラッキー

9階からの景色  建物が低いので良くわかりません 北方向を見ています

油物   ふぐの唐揚げ 青唐辛子
焼物   焼きたらば蟹 鰆幽庵焼き

昆布

京都国際は15年ぶり 取り壊し前に宿泊

茶碗蒸し

京料理 ほり川

1日限定30食】さよなら謝恩コース 

京都国際ホテル

駅から交差点はここだけ

T字の真ん中に位置する駅なので
すべての電車が停車します

15:39  浜大津で乗り換え

京阪京津線に乗り換え二条城駅まで行きます

15:29  三井寺駅

展望台から観音堂を望む

西国観音霊場第13番石山寺御朱印

浜大津駅 スイッチバックのような駅

石山を通過して三井寺駅まで

0番線ホーム 
トワイライトエクスプレスが停車していました   

12:17 京都到着

50周年記念弁当 1000円

10:25 そろそろ富士山が見えるはずですが・・

第1疏水の流量は毎秒8.35立方メートル(300立方尺)で,
大津市三保ヶ崎の取水点から長等山をトンネルで抜け,山科北部の山麓をめぐり蹴上に出て,
蹴上から約36メートルの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下って
鴨川に至り,鴨川合流点から下流は鴨川左岸,深草,伏見を経て濠川に出ます。
また,途中には舟運のために閘門が各所に設けられました。

現在の水路

琵琶湖疎水の取水口辺りのようです

人に会いませんね

15:08  抹茶 お菓子
気がついたら飲み終わっていました

15:22  合流して本日の観光は終わり

引きづり鐘のお堂

14:42 弁慶の引きづり鐘

仁王門

14:45   撮影班は早々入口付近に戻って来ましたが・・・

14:46 釈迦堂

三重塔

順路に沿って進みます

14:33 階段のようですので 再び自由行動に切り替えます 

三井寺

案内より

13:46   拾翠園  次がありますので お茶はパスして

13:52 バスで駅まで行きます

13:50 本日最初のお寺でした

13:40 合流して 

13:38  本道の下です

多宝塔

この下で写真を写しているもう一人がいるのですが

石段上の光景
観音堂

積もってます

13:09 到着 徒歩10分でした

前回は雨でした  

3年ぶりの石山寺です 変わりありません

12:27 京阪石山駅     
平成元年より運行を続けてきた寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪〜札幌駅間)は、車両の老朽化により平成27年春の運転をもって運行を終了します

2番線 東海道本線

京都駅構内図

焼売炒飯弁当 910円

10:27 おーーーっ  富士山

二日目 快晴
H26年
11月27-29 京都14
11月27日 JTB 85,600
駅弁 1,910
京阪石山→石山寺電車賃@170- 340
コインロッカー代 400
石山寺拝観料@500- 1,000
石山寺御朱印代 300
石山寺前→石山寺駅バス賃(Ya別) 210
石山寺→三井寺電車賃@240- 480
コインロッカー代 400
三井寺拝観料@500- 1,000
三井寺御朱印代 300
ホテル・ほり川での夕食代(カード払い) 7,600
小計 13,940
11/28(金)
ホテル・アゼリアでの朝食代(カード払い) 3,600
レンタサイクル 4,000
妙心寺・退蔵院拝観料@500- 1,000
龍安寺拝観料@500- 1,000
昼食代(仁和寺山門前蕎麦屋) 2,250
大将軍八神社・八方除けお守り(秀君)、御札 1,000
北野天満宮・勧学お守り(翔君) 700
北野天満宮・御土居入園料 1,200
白峰神社・サッカーお守り(和君) 500
龍安寺拝観料@500- 1,000
鳩居堂・お土産代 1,404
よーじや・お土産代 2,602
楽紙館・お土産代 1,836
フレスコ・生八つ橋お土産代、翌日朝食用パン 1,354
ダイニング+カフェアンドバーウルウ・イタリアン、夕食代 5,600
小計 29,046
11/29(土)
宅急便 1,512
折りたたみ傘 756
二条城前→三条京阪電車賃@210- 420
三条→伏見稲荷電車賃@210- 420
伏見いなり屋・せんべいお土産代 1,350
伏見・道八、昼食代 1,310
伏見・名前入りお箸(秀君お土産) 760
伊勢丹・お土産代(麩、他) 1,911
伊勢丹・お土産代(ニシン、黒こしょう) 2,376
お土産代(阿闍梨餅) 1,080
伊勢丹・お土産代(ちりめん山椒) 2,160
京都茶寮(抹茶セット、抹茶) 3,342
お土産代(赤福) 720
お土産代(千枚漬け、他) 2,700
小計 20,817
63,803
85,600
149,403
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50年前 中学時代と同じ店内のようです

なぜか狐が逆立ちしています

京都茶寮

お土産を買って

素朴なうどん

おいしいおにぎり

本殿

社記には「御本殿五社相殿ウチコシナガシ作四方ニ高欄有ケタ行五間五尺ハリ行五間五尺」とあり「稲荷造」と称されています。

応仁2年(1468)の兵火により、境内の殿舎堂塔の全てが焼亡し、やがて仮殿の復興があったようですが、その後に諸国へ勧進が行われようやく明応8年(1499)に再興されました。

社殿建築としては大型に属し、装飾、特に“懸魚”の金覆輪や“垂木鼻”の飾金具、それと前拝に付けられた“蟇股”等の意匠に安土桃山時代へ向かう気風がみなぎり、豪放にして優華な趣をただよわしています。
重要文化財

よく動き沢山食べた一日でした 

旧二条城の碑

築100年の京町家の風情を継承し、モダンな空間へと改装したカジュアルイタリアン。
毎朝その日のベストな状態に仕込む"生パスタ"に ひと手間かける本場ナポリの"揚げ生地”ピッツァ。
スターターやお酒のあてに最適な350円の小皿料理や 旬の食材を活かしたオススメ料理など多彩なメニューをご用意。
料理と相性抜群の世界各国のワインはグラス600円〜、ボトル2600円〜とリーズナブルに楽しんでいただけます。

大学の歴史的文化財

イルミネーションは今年で10回目だそうです 
50年近く前に通った懐かしい高校に来られました

   アグネス・イルミネーションが華やかに点灯(11/22・土)
京都文化博物館

17:09 平安女学院へ

-日本の紙文化- 京都 楽紙舘 (らくしかん)

蹴鞠の場

三条通 中京郵便局

よーじや三条店

三条通
 かわいいお店が沢山あります

ここからは自転車に乗れます

14:40 御所の東側  寺町通りを丸太町通りに向かって

14:36 次は桔梗の時期に訪れたいですね

モミジは塀の外に植えられています

14:12 到着 2度目です

廬山寺

14:09  御苑の門

右折して南に向かいます

御所の壁

鞠の神様、精大明神を祭る摂社の地主社です。
本来の御祭神より有名になってしまったということです

御土居(おどい)

13:05 何となく入ってみました

並ばずに他の人が呼び出してくれた神様を拝んで

三光門(中門)
京都市の西北に位置する方除の星神・大将軍

地図左上付近を観光

12:28 午後の観光スタート  後は下るだけです

きぬかけの路

12:27 今回はパスして次に行きます

こちらが参道でしょう

 「石庭」の北側は方丈に接しているが、東側、南側及び西側は土塀で囲われている。
特に、西側と南側の土塀は「油土塀」(左の写真)といわれる特有の塀である。
「石庭」の作者は不明で、造られた年代も詳細不明らしいが、応仁の乱の後であろうといわれている。この石の配置については色々な説がある。
母虎が3頭の子を連れて川を渡ろうとするとき、1頭のヒョウが現れ母虎が目を離すと子の虎が食べられる。川を渡るにはどうすればよいか。
その答えがこの石組みの中にあるという、この説が有名らしい。他に、雲に浮かんだ山を表すという説もあし、宇宙を表す、というものもある。

 何れにしても、一見無責任なようであるが『見る人によっていろいろな解釈が生まれてくる』ということが正しいようである。
多くの人々が方丈の前に座り、黙って長時間石庭を見つめている。この石庭を見て一体何を感じているのだろうか。
石庭は禅の極致を表現しているともいわれているが、未熟者のためか私には自己を見つめ無心になるという禅の教えをこの石庭から感じとることはできないのである。

りょうあんじ
世界遺産(世界文化遺産) 龍安寺

他の塔頭等は次回 ゆっくり来て見る事にしましょう  お次は龍安寺です

10:56 約30分の滞在でした

北総門

方丈に至る路地
余香苑
この広大な庭園は造園家・中根金作氏の設計によるもので、昭和38(1963)年に着工し、3年の月日を費やして完成しました。
余香苑(よこうえん)は伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国でも有数の昭和の名園と言えます。
構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥行きが生まれ、庭園が広く見えることなどが例としてあげられます。
一年を通して、紅しだれ桜や藤、サツキ、蓮、金木犀、楓などが彩ります
1404年(応永11年)に越前国の豪族・波多野重通(はたのしげみち)が妙心寺第三世・無因宗因(むいんそういん)を開山として千本通松原に創建し、
日峰宗舜により妙心寺山内に移される。一時期衰退するが、後奈良天皇の帰依が深かった亀年禅愉(きねんぜんゆ)により中興される。

三門

10:05  3.5km先の妙心寺

こちらが入口です

本物のサギです

シャフト(9:30)→(5分、1.5km)→神泉苑→(30分、3.5km)
→妙心寺→(10分,1km)→龍安寺→(15分、2km)→昼食
→大将軍八神社→(5分、1km)→北野天満宮→(10分、2km)
→白峰神社→(10分、1.5km)→平安女学院→(5分、1km)→シャフト(18:00)

総走行距離:約13.5km、総移動時間:約1時間30分
※.上記はあくまでアバウトな予想です。信号待ち、道路工事による通行止め等
  により前後する可能性があります。
  また、各所の滞在時間により、昼食のタイミングが異なるかと思います。
  大将軍八神社周辺(北野白梅町界隈)は飲食店も多いので便利かと思います。

ご質問に関しまして、
@ 妙心寺までの道のりは一応若干の上りですが、
   なだらかですので、電動アシスト付自転車であれば
   特に問題はないと思います。
A 妙心寺内は自転車通行可能ですので、
   南口(丸太町通り側)から入られて、
   各寺院を見ながら北口(一条通り側)へ抜けられたら
   いいと思います。
B バッテリーの件ですが、総走行距離が15kmもございませんので、
   坂道を考慮に入れても十分持つと思います。

シャフト  レンタサイクル

これでも多めですが・、
今日は一日サイクリングなので

前菜   晩秋の取肴五種盛り合わせ
デザート  フルーツと甘味
鍋物  ふぐ鍋(てっちり)
造り   ふぐ薄造り 薬味 ぽん酢

くるみ ポテト

京料理ほり川
  • 料理種類和食会席 標準料金:朝食2,000円〜/夕食4,300円〜
  • 営業時間朝食7:00〜10:00(予約不要)、夕食17:00〜21:00(要予約) 1階81席
藤田観光が「京都国際ホテル」を14年12月で閉館
京都・元離宮二条城「アートアクアリウム城 京都・金魚の舞」チケット各種販売開始

なんと長蛇の列

大江戸線のような雰囲気です

16:22 二条城駅に到着 

市役所駅

浜大津−二条城駅は30分に1本

途中の市役所行きですが乗ります

15:32 反対側 近江神宮前石山行き

西国観音霊場第14番三井寺御朱印
滋賀県指定文化財 御 影 堂
一度外に出ます

JR石山から京阪石山へ移動2分

後ろ方向JR乗り換え口 長いエスカレータ下りて左

解散して山の上を行く班  13:16

ながーい参道

明治14年2月,京都府知事に任命された北垣国道は,京都に近く水量の豊かな琵琶湖に着目し,疏水を開削することにより,琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き,同時に動力(水車),かんがい,防火などに利用して,京都の産業を振興しようとしました。
 この計画を実現するため,疏水線路の調査,測量,設計にとりかからせ,その案を政府にはかり,工事計画の準備を進める一方,上・下京両区(当時の京都市は上・下京区の二区)の事業として行うため,勧業諮問会と上・下京連合区会に諮問しました。
 しかし,その間京都府案の設計変更とそれに伴う工事費の増額や,滋賀県,大阪府に対しての補償などいろいろな問題が起こり,その計画を実現するまでに
約4年の歳月を要しましたが,ようやく明治18年1月29日政府の起工特許を受け,同年6月に着工し,明治23年3月に大津から鴨川合流点まで完成し,
そこから伏見までは明治25年11月に着工し,明治27年9月に完成したのです。

15:22 一応記念撮影をして

15:02  観音堂

解散して紅葉を撮影

誰もいないので 石山寺駅最後の一枚

14:18 三井寺駅到着

13:56 石山寺に到着 お次は三井寺へ

13:39  迎えに来られました 早っ

やっと入り口です

多宝塔

瀬田川

12:58 石山寺に向かって出発

エレベーターは8号車付近

10:48 本日最後の富士山  さい先良いですよ

一日目 晴れ

11:29 お昼は懐かしいうどん屋さんへ

良い撮影ポイントですが人も多い

今日はお煎茶とお菓子で休憩

また来年来ますよ きっと

わらび餅  3品で1310円

三日目 雨

前菜盛り合わせ 丁寧に作られていてとても美味

パン  

当初、京都御所建礼門前にあった有栖川宮邸が、その後京都裁判所の仮庁舎として使用された後、京都地方裁判所所長宿舎の一部として現在の場所に移築されました。この施設を2008年に本学院が取得。書院造りの主屋とともに、烏丸通り側の青天門、下立売通側の長屋門が、それぞれ国の登録有形文化財となっており、幕末から大正にかけての公家屋敷や高級官舎の当時の様相を今に伝えています。太閤秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺の孫にあたる枝垂れ桜、十一代目「植治」当主の小川治兵衞氏作の庭園なども見どころです。
織田信長は天下統一のため1568(永禄11)年、足利義昭を奉じて入京。翌年義昭のため築城したのが旧二条城と呼ばれるもので、京都御苑の一隅から平安女学院にかけての一帯にかけての地にありました。石碑は、本学室町館の北東角にあります
円山公園の「長楽館」を設計したことで有名な
アメリカ人のJ・M・ガーディナー氏の設計によって、1898年に竣工。
外観はレンガ造り・ゴシック様式の「三廊式バジリカ型」と呼ばれる
西洋の典型的な教会様式です。
内部のデザインも、随所に明治期のキリスト教会堂の特色を伝えています。
1923年に建築。意匠設計は、当時聖路加国際病院や京都聖三一教会などを手がけたアメリカ人建築家のJ・V・Wバーガミニー氏が、構造設計は「日本における耐震構造の父」と評され東京タワーや通天閣などを手がけた内藤多仲氏が担当。

堅牢な建物ながら、「尖頭アーチ」や「メダリオン―徽章やシンボルマークなどのレリーフ」を効果的に用いて華やかさを見せています
名誉ある「英国王立建築家協会正会員」で、神戸異人館の旧ハッサム邸を
建てたことでも有名なアレクサンダー・N・ハンセル氏が設計。
建築様式は当時英国で大流行していた「アン女王スタイル」で、
現在日本で残っているのは「明治館」だけといわれています。
3年間に及ぶ大改修工事を終えて、2008年夏に美しい姿を復活させました

このアグネス・イルミネーションは、12月25日(木)までの毎日、16時30分から21時まで点灯されます。
ぜひ一度ご覧になってください

平安女学院

丸い石が回転します

白峯神宮は、幕末に孝明天皇が崇徳天皇を再び讃岐の白峯陵から都に招魂して平安を得ようと発願したのがきっかけとなって、1868(明治元)年、明治天皇の時代になって創建された神社です。
崇徳天皇は、平安時代末期、保元の乱で讃岐に流されて亡くなった天皇です。孝明天皇は幕末の激動を経験して、世の中を平穏にしたいという願いをこめたのでしょう。
祭神には崇徳天皇ともうひとり、奈良時代に恵美押勝の乱のあと廃位されて淡路島に流されて亡くなった淳仁天皇が祀られています。
いわば悲憤のうちに亡くなったふたりの天皇の魂を慰める神社と言えます。

しかし、今日の白峯神宮は、崇徳天皇と淳仁天皇の神社としては、ほとんど知られていません。「サッカーの神様」ということになっています。
それは、鞠と和歌の宗家である飛鳥井家が明治維新で東京に移った際、その邸宅跡に建てられたため、飛鳥井家が代々祭ってきた蹴鞠(けまり)の神、精大明神(せいだいみょうじん)が境内に摂社として残ったことに依ります。

蹴鞠の面白さは、「和をもって尊しとなす」の精神に基づいて、美しく蹴ることにあります。勝負を楽しむスポーツとは異なり、相手の受けやすい鞠を送ることが肝心です。

蹴鞠は、約2300年前、中国の春秋戦国時代に斉で行われ、日本へは約1400年前に伝来しました。
蹴鞠を行う鞠庭(鞠場)は一辺約12.6m。8人で蹴るのが正式です。背筋を伸ばして摺足(すりあし)で進み、三足目に右足の甲で蹴ることになっています。
鞠は2枚の鹿革を馬の背革の帯でとじ、開けた小穴から大麦の粒を詰めて形を整え、卵白で固めたあとに麦粒を抜いてつくったもので、蹴ると「ポン!」と音がします。
鞠を受けるときには「アリ」、自分の前に上げるときには「ヤア」、ほかの人に送るときには「オウ」と声をかけます。
それには伝説があります。平安時代後期の公卿藤原成通は、千日間蹴鞠の練習をするという誓いを立てました。
誓いを貫徹した夜、祭壇に置いた鞠が転げ落ち、そこに顔は人間で手足と体はサルのような姿をした3人の鞠の精が立っていました。
鞠の精たちの額には「春楊花」「夏安林」「秋園」の金色の文字が書かれており、藤原成通を守護することを約束して、姿を消しました。
この「夏安林」が「アリ」、「春楊花」が「ヤア」、「秋園」が「オウ」の掛け声のもとになったと言われています。

蹴鞠には有名な逸話があり、中大兄皇子が蹴鞠を楽しんでいたとき靴が脱げて、それを中臣鎌足が拾ったことからふたりの交流が始まり、645年の大化の改新につながったとされています。
また、『源氏物語』では、蹴鞠はしばしば宮中の遊びとして描かれ、平安時代には皇室や公家の遊びとして定着していたことを示しています。
蹴鞠の流派には、公家では御子左(みこひだり)家・難波家・飛鳥井家、神社では賀茂社社家の流儀の計4流儀があり、室町中期まで続きました。
その後、御子左家と難波家は衰え、現在は飛鳥井家と賀茂社の流儀だけが残っています。

蹴鞠は鎌倉〜室町時代
には武家に愛好され、江戸時代に入ると町人の間にも広がっていきました。
明治時代に入って西洋の文化が入って近代化が進むとともにすたれつつありましたが、1894年、日清戦争広島大本営にあった明治天皇を慰めるために、旧華族らが蹴鞠を天覧に供した際、明治天皇から「蹴鞠を保存せよ」と激励を受け、1907年、御下賜金と鞠と装束を贈られて蹴鞠(しゅうきく)保存会が誕生し、蹴鞠が復興されることになりました。

白峯神宮は、時代とともに技能や芸能の神とされるようになっていきました。そして、1998年、サッカーワールドカップフランス大会に日本が初出場した際、新聞やテレビで紹介されたのをきっかけにして「サッカーの神様」とされ、全国からサッカーチームのメンバーやサッカー関係者が訪れるようになりました。
2001年には蹴鞠の碑が建立され、近年はサッカーから範囲が広がって、「球技の神様」とされることもあります。
摂社としては保元の乱のとき、崇徳天皇(当時上皇)について戦った源為義、源為朝を祀る伴緒社(とものをしゃ)もあり、とくに源為朝は平安時代末期を代表する豪傑であったことから、「武道の神様」ともされています。そのため中学生や高校生を見かけることも多く、現在では修学旅行でも人気のスポットとなっています。


京都文化博物館
中京郵便局(なかぎょうゆうびんきょく)は、京都府京都市中京区にある郵便局。民営化前の分類では、集配普通郵便局であった。

14:48  寺町商店街  鳩居堂でお土産を買います

久々の鳩居堂です

16:01 三条通りに入ります

境内マップ

シャフト

滞在時間10分です

12:49 まず一人目のお守りを買いました

以前は観光道路と呼ばれていましたが、平成3年「きぬかけの路推進協議会」が発起人となり愛称を公募。
その結果、宇多天皇が真夏に雪見をするために衣笠山(別名きぬかけ山)に絹を掛けたと伝えられる故事にちなみ「きぬかけの路」と命名されました。
今ではその呼称が公の地図や観光情報に正式名称として記載され、国内外の観光客や地域住民に親しまれています。

11:52 お昼は仁和寺の側でいただきましょうか

もうすぐ仁和寺です

エビ無しでした

野菜天ぷら蕎麦 1450円

水分石(みくまりいし)
景色にアクセントを付ける意味と、池の水量を測る役目を果たしているのだそうで
08年に行われた池の護岸工事では、水が抜かれたことで、水分石の全貌が明らかになった。
写真で姿を見せている部分はほんの3分の1ほどで、結構、高さのある石だとわかると同時に池の深さもありそうだ。池のほとりのあちこちに立て看板があった。
京都市右京区御陵(ごりょう)ノ下町(したまち)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。四円寺の一つ円融寺の跡地にあたる。大雲山(だいうんざん)と号し、俗に石寺(いしでら)、鴛鴦(おしどり)寺という。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1450年(宝徳2)細川勝元(かつもと)は自領と交換して徳大寺家の山荘を入手し、この地に一寺を建立、妙心寺第5世義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いて住持とし、義天はその師日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勅請(ちょくしょう)の開山とした。
応仁(おうにん)の乱には西軍山名氏の軍の兵火にあい焼失、1488年(長享2)細川政元(まさもと)の招請を受け徳芳禅傑(とくほうぜんけつ)が住持となり、仏殿を造営して中興の祖となった。一時は塔頭(たっちゅう)21を数える大寺であったが、1797年(寛政9)火災にあい、以後衰微した。
方丈庭園(特別名勝・史跡)は、細川勝元が幕府同朋衆(どうぼうしゅう)の相阿弥(そうあみ)につくらせた枯山水式石庭で、俗に「虎の子渡し」とよばれる。
一面の白砂を敷き、大小15個の石のほか一木一草もない、簡浄で象徴的な石庭として古来名高く、豊臣(とよとみ)秀吉などもその風趣を愛し、たびたび歌会を催したりした。
方丈は塔頭西源院(さいげんいん)から移したもの。そのほか総門、中門、唐門、開山堂、弁天堂などの建造物がある。
本堂天井の蟠竜(ばんりゅう)および迦陵頻伽(かりょうびんが)の画は兆殿司(ちょうでんす)の筆として知られる。
寺宝の西源院本『太平記』12冊は国重要文化財。境内にある鏡容(きょうよう)池はオシドリの名所として有名。
龍安寺は1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。

 
庫裏の西側に「方丈(本堂)」が建てられている。「方丈」は寛政9年(1797年)の火災後、塔頭西源院の本堂をここに移したものといわれている。
広間の襖絵は通常非公開である。


 
「方丈」は重要文化財に指定されている。
敷砂の色が異なる2つの庭は、物事や人の心の二面性を伝えています。陰の庭に8つ、陽の庭に7つ、合計15の石が配されております

陰陽の庭

陽の庭

水琴窟

人々に癒しを与える音としても注目を浴びている水琴窟。「つくばい」の下深く底を穿った瓶を伏せ込み、
手水に使われた蹲(つくばい)の水が瓶に反響して妙なる琴の音のように聞こえます。水琴の残響に耳を傾けた古人のわびさびの風情が味わえます。
当院の水琴窟は、もともとは江戸中期から書院中庭にあったものですが、その場所は通常非公開のため、20年ほど前にどなたで
も楽しんで頂けるよう、現在の位置(庭園「余香苑」内)に移しました。
その折、中に埋めるかめは新しく焼かせたもので、現在直径60cm高さ90cmくらいの素焼きの信楽焼のかめが埋まっています。

パンフレット写真

妙心寺について

正法山妙心寺は臨済宗妙心寺派の大本山です。

インドの達磨大師さまから中国の臨済禅師さまを経て、妙心寺開山無相大師さまへと受け嗣がれてきた一流の禅を宗旨・教義としています。
1337年、95代の花園法皇さまの勅願によって創建された妙心寺の開山、無相大師さまの法流は四派に分かれ、全国3400ヶ寺に広がっています。
お釈迦さまを大恩教主と尊崇し、その教えを心にいただく禅の安心を求めます。
開山無相大師さまの最期の教え「請う、其の本を務めよ」と開基花園法皇さまの「報恩謝徳」の聖旨による仏法興隆を実践します。
自身仏を信じて坐禅に励み、足下を照顧しながら生かされている自分を感謝して、社会を心の花園と念じ和やかな人生を目指します。

2014.11.25 紅葉のライトアップ・アヒルのページを更新しました!

9:29 レンタサイクル店シャフト に向かいます
お勧めのコースを提示して頂きました

別行動でしてきちんとお参り

バスタブとの仕切りがあります

京料理ほり川では京都自慢の料理と温かく心のこもったサービスでおもてなしさせて頂いております。
京情緒あふれるおばんざいから会席料理まで、様々なお料理でおもてなし致します。
スタッフ一同ご来店を心よりお待ちしております

12月メニューに変わっていました アワビ以外同じ

東証1部上場のホテル業「藤田観光」は、2014年12月26日をもって京都府京都市にて運営する「京都国際ホテル」の営業を終了すると発表しました。
1961年に開業の同ホテルは、客室数274室に宴会場・レストランを備えたシティーホテルで、二条城に隣接した抜群の立地により修学旅行生や外国人観光客にも広く利用されてきました。
しかし、京都地域においてホテル競争が激化するなか、老朽化した設備の更新には多額の費用が必要となることから、営業を終了し土地・建物を売却する決定に至ったようです。
2014年12月26日の朝食をもって営業を終了し、2015年1月15日付で土地・建物を譲渡する予定で、売却先については守秘義務により明らかにしないとのことです

11:32 名古屋を過ぎましたのでお昼にします

疎水に沿って最初の橋を右 だそうです

駅前通り

モミジのじゅうたん

パンフレットを提示して中へ

瀬田川の観光船

京都12:30発
石山12:43着

京阪石山12:51発
石山寺 12:56着

10:09 青空

焼売炒飯弁当 910円

50周年記念弁当 1000円

解散して山の下での撮影班  13:19

琵琶湖疎水について

三井寺駅までの景色

展望台から大津市を望む

三井寺は、日本最大の湖・琵琶湖を望む滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山です。正式には、長等山園城寺と称し、七世紀に天智天皇ゆかりの寺として創建されました。
三井寺の名称は、天智・天武・持統の三天皇が産湯に用いられたという湧水(三井の霊泉)があり、「御井の寺」と呼ばれていたことに由来します。
その後、三井寺の開祖・智証大師円珍(八一四〜八九一)が、この霊泉を密教の三部潅頂の法水に用いたことから三井寺と呼ばれるようになりました。
三十五万坪に及ぶ広大な境内には、国宝、重要文化財の堂塔伽藍が建ち並び、古来より近江を代表する景勝の地として、また桜の名所として親しまれています。

発車時刻が迫っています

石山寺

発車しました・・・

のぞみ221号 


青物横丁  9:35発
品川     9:40着

品川     10:07発 のぞみ221号
京都     12:17着 

京都     12:30発 JR東海道本線 快速長浜行き
石山     12:49着

京阪石山  12:50発 京阪石山坂本線
石山寺    12:55