H26年11月27-29日
京都国際ホテル2
できた時から気になっていましたが初めて入ります
朱雀の薫 (すざくのかおり〉
20g缶/1,123円朱雀の昔 〈すざくのむかし〉
20g缶/2,160円朱雀の翠 〈すざくのみどり〉
100g缶/1,404円100g袋/1,080円朱雀の紅〈すざくのくれない〉
40g缶/702円80g袋/842円朱雀の露〈すざくのつゆ〉
40g缶/1,512円別行動にて いってらっしゃーい
エキナカで食べて帰ります
15:16 新幹線で見る虹は初めてです
クリスマスツリー 夜はライトアップします
18:00 レンタサイクル店で紹介してもらったイタリアンのお店
出口に向かいます
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、
天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
台形の土塁と堀(堀の一部は川、池、沼を利用)からなり、その延長は22.5キロメートルに及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりにそって築かれました。
土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所には七口を設け、洛外との出入口としました。鞍馬口、丹波口などの地名はその名残です。
江戸時代になると天下太平の世が続き、外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり、また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて
次々と取り壊され、北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。
昭和5年(1930)、市内に残る御土居のうち8箇所が、京都の沿革を知るうえに、また、広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定
、昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加され、現在9箇所が指定地となっています。
また、これら指定地以外では、北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも、部分的に御土居が残っています。
秀吉時代の御土居の位置に関する記録は現存しないが、現存する遺構や江戸時代の絵図からその位置が推定されている。
御土居の囲む範囲は南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長の形をしている。御土居は必ずしも直線状ではなく、特に西側では数箇所の凹凸がある。全長は約22.5kmである。北端は北区紫竹の加茂川中学校付近、南端は南区の東寺の南、東端はほぼ現在の河原町通、西端は中京区の山陰本線円町駅付近にあたる。また東部では鴨川(賀茂川)に、北西部では紙屋川(天神川)に沿っており、これらが堀を兼ねていた。
御土居の内部を洛中、外部を洛外と呼んだ。ただし、御土居の内部であっても鞍馬口通以北は洛外と呼ばれることもあった。
3個目は サッカー少年の為のお守りを買います
直進して大将軍八神社へ
馬代一条交差点
行きはここから左折 一回りしました
苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、
敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、
右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていました。
地下鉄東西線建設に伴う発掘調査によって、
大池の北岸、泉から池に流れ込む小川(遣水)など庭園の北部を検出しています。
小川河口のすぐ西側の池の北岸には、長さ約4mを測る厚い板材が設置されており、
船着き場の足場板と見られます。
ここでは、船着き場の足場板を検出状況に即して復元展示しています。
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き、
貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されます。
モデルコース
本堂横から下ります
一応メールしましたのでゆっくりします
のどが渇いたのでお先にお茶します
2番線へ
帰る頃に晴天なり
今日は伏見稲荷まで行きます
三条で京阪に乗り換え
手すりの朱も鮮やか
ここが御土居の上だそうです
展望台です
退蔵院
前菜 晩秋の取肴五種盛り合わせ
造り ふぐ薄造り 薬味 ぽん酢
鍋物 ふぐ鍋(てっちり)
焼物 焼きたらば蟹 鰆幽庵焼き
油物 ふぐの唐揚げ 青唐辛子
留椀 赤だし仕立て
食事
デザート フルーツと甘味
14:30 到着 徒歩12分
観音堂への階段
15:06 琵琶湖を見渡せる山の上
仁王門 表から
ごちそうさまでした
3日間もたちまち過ぎて また来年ですか・・・
14:57 待合所も座れませんでしたのでホームで待ちます
最後のお土産購入場所で漬け物を買って
50年 光陰矢のごとし です
人がいない一瞬ですね
おいしいお茶に満足して お土産に茶葉購入 1000円
京都には、洗練されたもてなしの文化や長年にわたり
受け継がれてきた美術・工芸の技、
そして四季とともに暮らす美しい生活文化が息づいています。
ギャラリーカフェ「京都茶寮」は、そのような古都千年の
文化に触れる出会いとくつろぎの空間。
宇治茶と季節の京菓子でのゆかしいおもてなしと、
現代の匠たちが創りあげる工芸品や京の逸品のご紹介など、
京文化のエスプリをご堪能いただけます。
前回は暑くて大急ぎでした
京都駅もずいぶん慣れましたが・・
13:05 京都駅と言えばここでしょ
12:23 さっ 現実に戻って
JR 元山手線で京都駅まで
10:34 疎水を渡って
新幹線出口まで迎えに来てくれました
N700Aが増えました
一応タワーも
15年前にも来ましたが 変化あまりなし
創業70年余だそうです
やはり土曜日なので混雑しています
参道 (駅から向かって左側)
3年前の夏に来ましたが
中学生時代を思い出します
JR奈良線を渡り
10:17発
雨には濡れません
10:30 京阪伏見稲荷着
このホテルもあと1カ月で閉館ですか
二条城の前を通り過ぎ駅へ
9:55 傘を買って出発
約1時間のお食事 とてもおいしく満足でした
デザート
紅茶
蠣のクリームパスタ
マグロのホホ肉のラビオリ
DINING+CAFE&BAR 閏
ダイニングカフェアンドバーウルウ
15:32 ホテルに向かいます
お茶とお菓子が頂けます
糖分補給して
これは元々の赤かも 紅葉でした葉で無いようです
13:05 なにやら期待薄な雰囲気ですよ
外からモミジが見えませんでしたので
外からは想像できませんでした
銅の屋根を葺き替えています
15:25 お土産を買って一度ホテルに戻ります
14:46 門だけ見て
本能寺
この辺は骨董屋が多いです
そろそろ廬山寺(ろざんじ)
14:09 もうすぐです
同志社大学
御苑の北側を走っています
14:04 ではホテルに帰る道すがら どこかに寄りますか
公式試合で使われたボールたち
13:55 無事3人分のお守りは確保できました
プロサッカー選手が多く訪れるそうです
白峰神宮
12:34 仁和寺から5分 妙心寺まで戻って来ました
妙心寺の長い塀
12:08おぼろ山菜そば 800円
12:54 5分で到着
二つ目のお守りを買います梅園を通って出口へ
13:30 意外に堪能できました
13:32 お守りはあと一つ
13:08 もみじ苑から社殿が見えます
なんとあでやかな
鈴の下だけ長蛇の列です
二人目のお守りを買います
北野天満宮
3年前にバッテリー切れで通った道です
11:58 前回食べたお蕎麦屋さんへ
仁和寺 仁王門
11:46 約40分のお散歩でした
11:16 修学旅行以来です
石庭へ
■鏡容池(きょうようち)
静かな湖面が鏡のように木々を映す境内の鏡容池。
桜や雪柳、楓(カエデ)などが四季を通して、池を美しく囲む。とくに桜の美しさは有名である。この鏡容池は徳大寺家の山荘の遺構であった。
平安時代には、貴族が船を浮かべて遊んだという記録もある。
入口まで長いです
大きな駐車場の片隅に駐輪場がありました
11:12 約10分で到着
春はこんなに美しい桜 大玄関にあるJRのポスター
10:47 大玄関の紅葉 満喫しました
10:25 20分で到着
広い敷地は自転車通行可で通り抜けできます
南総門
10:23 発見
9:59 とりあえず最初の見物を終えて
黄葉も美しい
竜の船でお食事ができます
船
どうやら裏から入ったようです
9:48 到着
神泉苑
アゼリア
盛りつけが・・・・
炊き込みご飯
12:25 トワイライトエクスプレスに会えました ラッキー
9階からの景色 建物が低いので良くわかりません 北方向を見ています
昆布
京都国際は15年ぶり 取り壊し前に宿泊
茶碗蒸し
京料理 ほり川
【1日限定30食】さよなら謝恩コース
京都国際ホテル
T字の真ん中に位置する駅なので
すべての電車が停車します
15:39 浜大津で乗り換え
京阪京津線に乗り換え二条城駅まで行きます
15:29 三井寺駅
展望台から観音堂を望む
浜大津駅 スイッチバックのような駅
石山を通過して三井寺駅まで
0番線ホーム
トワイライトエクスプレスが停車していました
50周年記念弁当 1000円
10:25 そろそろ富士山が見えるはずですが・・
現在の水路
琵琶湖疎水の取水口辺りのようです
人に会いませんね
15:08 抹茶 お菓子
気がついたら飲み終わっていました
15:22 合流して本日の観光は終わり
14:42 弁慶の引きづり鐘
仁王門
14:45 撮影班は早々入口付近に戻って来ましたが・・・
14:46 釈迦堂
三重塔
14:33 階段のようですので 再び自由行動に切り替えます
三井寺
案内より
13:52 バスで駅まで行きます
13:50 本日最初のお寺でした
13:40 合流して
13:38 本道の下です
庭
この下で写真を写しているもう一人がいるのですが
積もってます
13:09 到着 徒歩10分でした
前回は雨でした
3年ぶりの石山寺です 変わりありません
2番線 東海道本線
京都駅構内図
焼売炒飯弁当 910円
10:27 おーーーっ 富士山
H26年 | ||
11月27-29 | 京都14 | |
11月27日 | JTB | 85,600 |
駅弁 | 1,910 | |
京阪石山→石山寺電車賃@170- | 340 | |
コインロッカー代 | 400 | |
石山寺拝観料@500- | 1,000 | |
石山寺御朱印代 | 300 | |
石山寺前→石山寺駅バス賃(Ya別) | 210 | |
石山寺→三井寺電車賃@240- | 480 | |
コインロッカー代 | 400 | |
三井寺拝観料@500- | 1,000 | |
三井寺御朱印代 | 300 | |
ホテル・ほり川での夕食代(カード払い) | 7,600 | |
小計 | 13,940 | |
11/28(金) | ||
ホテル・アゼリアでの朝食代(カード払い) | 3,600 | |
レンタサイクル | 4,000 | |
妙心寺・退蔵院拝観料@500- | 1,000 | |
龍安寺拝観料@500- | 1,000 | |
昼食代(仁和寺山門前蕎麦屋) | 2,250 | |
大将軍八神社・八方除けお守り(秀君)、御札 | 1,000 | |
北野天満宮・勧学お守り(翔君) | 700 | |
北野天満宮・御土居入園料 | 1,200 | |
白峰神社・サッカーお守り(和君) | 500 | |
龍安寺拝観料@500- | 1,000 | |
鳩居堂・お土産代 | 1,404 | |
よーじや・お土産代 | 2,602 | |
楽紙館・お土産代 | 1,836 | |
フレスコ・生八つ橋お土産代、翌日朝食用パン | 1,354 | |
ダイニング+カフェアンドバーウルウ・イタリアン、夕食代 | 5,600 | |
小計 | 29,046 | |
11/29(土) | ||
宅急便 | 1,512 | |
折りたたみ傘 | 756 | |
二条城前→三条京阪電車賃@210- | 420 | |
三条→伏見稲荷電車賃@210- | 420 | |
伏見いなり屋・せんべいお土産代 | 1,350 | |
伏見・道八、昼食代 | 1,310 | |
伏見・名前入りお箸(秀君お土産) | 760 | |
伊勢丹・お土産代(麩、他) | 1,911 | |
伊勢丹・お土産代(ニシン、黒こしょう) | 2,376 | |
お土産代(阿闍梨餅) | 1,080 | |
伊勢丹・お土産代(ちりめん山椒) | 2,160 | |
京都茶寮(抹茶セット、抹茶) | 3,342 | |
お土産代(赤福) | 720 | |
お土産代(千枚漬け、他) | 2,700 | |
小計 | 20,817 | |
63,803 | ||
85,600 | ||
149,403 | ||
50年前 中学時代と同じ店内のようです
なぜか狐が逆立ちしています
京都茶寮
お土産を買って
素朴なうどん
おいしいおにぎり
よく動き沢山食べた一日でした
築100年の京町家の風情を継承し、モダンな空間へと改装したカジュアルイタリアン。
毎朝その日のベストな状態に仕込む"生パスタ"に ひと手間かける本場ナポリの"揚げ生地”ピッツァ。
スターターやお酒のあてに最適な350円の小皿料理や 旬の食材を活かしたオススメ料理など多彩なメニューをご用意。
料理と相性抜群の世界各国のワインはグラス600円〜、ボトル2600円〜とリーズナブルに楽しんでいただけます。
イルミネーションは今年で10回目だそうです
50年近く前に通った懐かしい高校に来られました
17:09 平安女学院へ
蹴鞠の場
よーじや三条店
三条通
かわいいお店が沢山あります
ここからは自転車に乗れます
14:40 御所の東側 寺町通りを丸太町通りに向かって
14:36 次は桔梗の時期に訪れたいですね
14:12 到着 2度目です
14:09 御苑の門
右折して南に向かいます
御所の壁
御土居(おどい)
13:05 何となく入ってみました
並ばずに他の人が呼び出してくれた神様を拝んで
地図左上付近を観光
12:28 午後の観光スタート 後は下るだけです
きぬかけの路
12:27 今回はパスして次に行きます
こちらが参道でしょう
他の塔頭等は次回 ゆっくり来て見る事にしましょう お次は龍安寺です
10:56 約30分の滞在でした
北総門
三門
こちらが入口です
本物のサギです
シャフト レンタサイクル
これでも多めですが・、
今日は一日サイクリングなので
くるみ ポテト
京料理ほり川 |
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なんと長蛇の列
大江戸線のような雰囲気です
16:22 二条城駅に到着
市役所駅
浜大津−二条城駅は30分に1本
15:32 反対側 近江神宮前石山行き
JR石山から京阪石山へ移動2分
後ろ方向JR乗り換え口 長いエスカレータ下りて左
解散して山の上を行く班 13:16
ながーい参道
15:22 一応記念撮影をして
15:02 観音堂
誰もいないので 石山寺駅最後の一枚
14:18 三井寺駅到着
13:56 石山寺に到着 お次は三井寺へ
13:39 迎えに来られました 早っ
やっと入り口です
瀬田川
12:58 石山寺に向かって出発
エレベーターは8号車付近
10:48 本日最後の富士山 さい先良いですよ
一日目 晴れ
11:29 お昼は懐かしいうどん屋さんへ
良い撮影ポイントですが人も多い
今日はお煎茶とお菓子で休憩
わらび餅 3品で1310円
三日目 雨
前菜盛り合わせ 丁寧に作られていてとても美味
パン
平安女学院
丸い石が回転します
白峯神宮は、幕末に孝明天皇が崇徳天皇を再び讃岐の白峯陵から都に招魂して平安を得ようと発願したのがきっかけとなって、1868(明治元)年、明治天皇の時代になって創建された神社です。
崇徳天皇は、平安時代末期、保元の乱で讃岐に流されて亡くなった天皇です。孝明天皇は幕末の激動を経験して、世の中を平穏にしたいという願いをこめたのでしょう。
祭神には崇徳天皇ともうひとり、奈良時代に恵美押勝の乱のあと廃位されて淡路島に流されて亡くなった淳仁天皇が祀られています。
いわば悲憤のうちに亡くなったふたりの天皇の魂を慰める神社と言えます。
しかし、今日の白峯神宮は、崇徳天皇と淳仁天皇の神社としては、ほとんど知られていません。「サッカーの神様」ということになっています。
それは、鞠と和歌の宗家である飛鳥井家が明治維新で東京に移った際、その邸宅跡に建てられたため、飛鳥井家が代々祭ってきた蹴鞠(けまり)の神、精大明神(せいだいみょうじん)が境内に摂社として残ったことに依ります。
蹴鞠の面白さは、「和をもって尊しとなす」の精神に基づいて、美しく蹴ることにあります。勝負を楽しむスポーツとは異なり、相手の受けやすい鞠を送ることが肝心です。
蹴鞠は、約2300年前、中国の春秋戦国時代に斉で行われ、日本へは約1400年前に伝来しました。
蹴鞠を行う鞠庭(鞠場)は一辺約12.6m。8人で蹴るのが正式です。背筋を伸ばして摺足(すりあし)で進み、三足目に右足の甲で蹴ることになっています。
鞠は2枚の鹿革を馬の背革の帯でとじ、開けた小穴から大麦の粒を詰めて形を整え、卵白で固めたあとに麦粒を抜いてつくったもので、蹴ると「ポン!」と音がします。
鞠を受けるときには「アリ」、自分の前に上げるときには「ヤア」、ほかの人に送るときには「オウ」と声をかけます。
それには伝説があります。平安時代後期の公卿藤原成通は、千日間蹴鞠の練習をするという誓いを立てました。
誓いを貫徹した夜、祭壇に置いた鞠が転げ落ち、そこに顔は人間で手足と体はサルのような姿をした3人の鞠の精が立っていました。
鞠の精たちの額には「春楊花」「夏安林」「秋園」の金色の文字が書かれており、藤原成通を守護することを約束して、姿を消しました。
この「夏安林」が「アリ」、「春楊花」が「ヤア」、「秋園」が「オウ」の掛け声のもとになったと言われています。
蹴鞠には有名な逸話があり、中大兄皇子が蹴鞠を楽しんでいたとき靴が脱げて、それを中臣鎌足が拾ったことからふたりの交流が始まり、645年の大化の改新につながったとされています。
また、『源氏物語』では、蹴鞠はしばしば宮中の遊びとして描かれ、平安時代には皇室や公家の遊びとして定着していたことを示しています。
蹴鞠の流派には、公家では御子左(みこひだり)家・難波家・飛鳥井家、神社では賀茂社社家の流儀の計4流儀があり、室町中期まで続きました。
その後、御子左家と難波家は衰え、現在は飛鳥井家と賀茂社の流儀だけが残っています。
蹴鞠は鎌倉〜室町時代には武家に愛好され、江戸時代に入ると町人の間にも広がっていきました。
明治時代に入って西洋の文化が入って近代化が進むとともにすたれつつありましたが、1894年、日清戦争広島大本営にあった明治天皇を慰めるために、旧華族らが蹴鞠を天覧に供した際、明治天皇から「蹴鞠を保存せよ」と激励を受け、1907年、御下賜金と鞠と装束を贈られて蹴鞠(しゅうきく)保存会が誕生し、蹴鞠が復興されることになりました。
白峯神宮は、時代とともに技能や芸能の神とされるようになっていきました。そして、1998年、サッカーワールドカップフランス大会に日本が初出場した際、新聞やテレビで紹介されたのをきっかけにして「サッカーの神様」とされ、全国からサッカーチームのメンバーやサッカー関係者が訪れるようになりました。
2001年には蹴鞠の碑が建立され、近年はサッカーから範囲が広がって、「球技の神様」とされることもあります。
摂社としては保元の乱のとき、崇徳天皇(当時上皇)について戦った源為義、源為朝を祀る伴緒社(とものをしゃ)もあり、とくに源為朝は平安時代末期を代表する豪傑であったことから、「武道の神様」ともされています。そのため中学生や高校生を見かけることも多く、現在では修学旅行でも人気のスポットとなっています。
14:48 寺町商店街 鳩居堂でお土産を買います
久々の鳩居堂です
16:01 三条通りに入ります
橘
シャフト
12:49 まず一人目のお守りを買いました
11:52 お昼は仁和寺の側でいただきましょうか
エビ無しでした
野菜天ぷら蕎麦 1450円
陰陽の庭
陽の庭
水琴窟
パンフレット写真
インドの達磨大師さまから中国の臨済禅師さまを経て、妙心寺開山無相大師さまへと受け嗣がれてきた一流の禅を宗旨・教義としています。
1337年、95代の花園法皇さまの勅願によって創建された妙心寺の開山、無相大師さまの法流は四派に分かれ、全国3400ヶ寺に広がっています。
お釈迦さまを大恩教主と尊崇し、その教えを心にいただく禅の安心を求めます。
開山無相大師さまの最期の教え「請う、其の本を務めよ」と開基花園法皇さまの「報恩謝徳」の聖旨による仏法興隆を実践します。
自身仏を信じて坐禅に励み、足下を照顧しながら生かされている自分を感謝して、社会を心の花園と念じ和やかな人生を目指します。
9:29 レンタサイクル店シャフト に向かいます
お勧めのコースを提示して頂きました
別行動でしてきちんとお参り
バスタブとの仕切りがあります
12月メニューに変わっていました アワビ以外同じ
東証1部上場のホテル業「藤田観光」は、2014年12月26日をもって京都府京都市にて運営する「京都国際ホテル」の営業を終了すると発表しました。
1961年に開業の同ホテルは、客室数274室に宴会場・レストランを備えたシティーホテルで、二条城に隣接した抜群の立地により修学旅行生や外国人観光客にも広く利用されてきました。
しかし、京都地域においてホテル競争が激化するなか、老朽化した設備の更新には多額の費用が必要となることから、営業を終了し土地・建物を売却する決定に至ったようです。
2014年12月26日の朝食をもって営業を終了し、2015年1月15日付で土地・建物を譲渡する予定で、売却先については守秘義務により明らかにしないとのことです。
11:32 名古屋を過ぎましたのでお昼にします
疎水に沿って最初の橋を右 だそうです
駅前通り
モミジのじゅうたん
パンフレットを提示して中へ
瀬田川の観光船
京都12:30発
石山12:43着
京阪石山12:51発
石山寺 12:56着
10:09 青空
焼売炒飯弁当 910円
50周年記念弁当 1000円
解散して山の下での撮影班 13:19
琵琶湖疎水について
三井寺駅までの景色
展望台から大津市を望む
発車時刻が迫っています
石山寺
発車しました・・・
のぞみ221号