部屋から京都駅を望む  夜景

H23.11.28 新幹線 25000
ホテル(楽天) 19000
大藤 2100 620
レンタサイクル 700
智積院 500
ハンカチ・カレンダー 2800 1400
1050 525
1000
スコーン 1000
夕飯 雅六 2500
朝食用 900
H23.11.29 レンタサイクル 1500
わらび餅 1200
金閣寺 500
1150
仁和寺 500
ちりめん 840
640 320
菓子 1388 1388
よーじや 710 710
つるし人形 1050
ストッキング 735
しるこ 262*7個 1834 524
ハンカチ 1050 525
七味 840
ニシン 1260
夕食 四川 3800
朝食用 900
H23.11.30 宅配 着払い 1200
電車 210
お茶 京煎堂 950
菓子 525 175
昼 天の川 1980
生麩 800 400
千枚漬け 1260 630
夕食用 1976
85348 7217

1976

1200?

14:40 四条駅

海老芋の旨煮

13:30

金堂

案内より

夕佳亭(せっかてい)は江戸時代の茶道家金森宗和が建てた数寄屋造りの茶室です。
夕佳亭は小高い位置にあり、夕暮れ時にここから眺める金閣(舎利殿)が夕日に映えて殊の外美しいことから、夕日に佳い
茶室夕佳亭と名付けられました。
夕佳亭の正面にある床柱は有名な「南天の床柱」です、茶席に南天が使われるのは珍しく有名になりました。
夕佳亭は明治初年に焼失し、明治7年に再建されました。平成9年(1997年)にも解体修理されています。
夕佳亭のそばに貴人榻(きじんとう)と呼ばれる椅子のかたちをした石があります。
小さいですがまさに椅子の格好をした石です。

全てが個室です

6時の予約です

五重塔

南庭(Dantei)

宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれています。
庭内には左近の桜、右近の橘が植えられ、その前方に白砂と松や杉を配した、
簡素の中にも趣のある庭といえます

名古屋
10:47(16)
↓JR新幹線こだま637号
11:38(14)
京都

出発日:2011/11/28
所要時間:51
片道金額:5,240

840

タピオカのココナツミルク

お粥

前菜 エビ・木耳

15:35 無事自転車を返却して  ホテルに戻ります

  本日は6時間の観光でした

お揚げ丼膳  1150円

きのこ丼膳 1150円

撮影ポイントはなかなか退いてくれません

ご飯

炊き合わせ  和え物

団体様ご一行が・・・・
10:54

京都13
BACK
BACK

名古屋でお別れして 一人旅・・・・

ポストが良いですね・・・・

一力です

プリンのセット  950円

ほうれん草と帆立のクリームソース

15:14 東本願寺が近くなってきました

14:41 北野白梅町駅

煎茶セット 980円

どの茶器で出されるのでしょうか

お食事処がありますので

嵐電沿いにのんびり

観光客の方に撮っていただきました
10:31

JR 二条駅 駅舎が良いんです
10:03

4時過ぎ 小腹が空きました

H23年11月28-30日
ホテル近鉄京都駅
1

いただきました

525*2

525*2+590*2+570=2800

262*4

525*2

新幹線撮影は難しい

手作り豆腐 吉野あんかけ

京のお野菜コース   1980円

外からテーブル席が見えましたので

京の和膳食堂  
天の川

先斗町に入りました

京都南座  本日初日だそうです

舞妓さんも走る もうすぐ師走

10:36 四条通り 祇園までお散歩

9:57 今日は電車で四条まで

三日目 晴れ


京都駅に戻ります

なぜか都ホテルにセント君がいました

牛肉と野菜の炒め

天ぷら エビ・白身魚

15:25  京都駅も見えますし

15:18  ここまで来ればもう安心

14:43 下りが続きます

15:06 四条大宮駅

玉露 1150円

白書院(Shiroshoin)

宸殿南庭の西側に建立。襖絵などは、昭和12年(1937年)に福永晴帆(1883?1861)画伯による松の絵が
部屋全体に描かれています

12:37 本坊表門から入ります

 勅使門

京都では珍しい道路に面した「二王門」(京都3大門のひとつ)より足を一歩踏み入れると、
広大な境内には
国宝の「金堂」をはじめ、重要文化財の「五重塔」「御影堂」「観音堂」や、
御殿内の「遼廓亭」「飛濤亭」などがあります。
皇族や貴族とのゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物が特長です。

12:03 まずはお昼ご飯を食べます

等持院駅

金閣寺からは下りで良かった  楽

金閣・建物構造
1層(初層) 寝殿造りで法水院(ほうすいいん)と呼ばれ、 中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に足利義満像が安置されています。
2層  武家造りで潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、 岩屋観音像と四天王像が安置されています。

3層  禅宗仏殿造りで究竟頂(くっきょうちょう)とよばれます
屋根 椹(さわら)の薄い板を重ねた柿葺(こけらぶき)で上には鳳凰が飾られて
金閣寺(鹿苑寺)の境内(約4万坪)の半分以上を
占めるのが鏡湖池(きょうこち)をはじめとする庭園です。
鏡湖池には池の中に葦原島、鶴島、亀島など大小の
島があります。
また室町時代には足利義満に取り入ろうとした諸大名が
競って石を奉納しました。例えば、畠山石、赤松石、細川石
などの奇岩名石には諸大名の名前が残っています。
金閣寺の西にある衣笠山を借景とした庭園は室町時代の
代表的な池泉回遊式庭園で国の特別史跡、特別名勝にも
指定されています。

やはり見頃はこの人出です

9:41 東本願寺
ここから緩やかな上りの始まり

駅   9:56

塩小路通りから見えるタワー
9:34

今日はアシスト自転車をレンタル
  金閣寺から仁和寺まで行きます

9:19 グランヴィアをぬけて

二日目 晴れ


16平米と少し狭いのですが・・・

ホテル近鉄京都駅


ろうそくより小さい 巨大ツリー

火が灯ったろうそく

案内より

京なまふ料理 麸坊
雅六
テ・コンセプシオン (Te Concepcion)

元祖千枚漬け 大藤

案内より

智積院は、五百仏山 根来寺 智積院と称し、紀州根来(現・和歌山岩出町)にあった真言宗の巨刹根来寺の学問所として、
室町時代の初期に長盛−ちようせい−と言う学僧によって創建されました。
以来、真言宗の学問の寺として栄えましたが、戦国時代に豊臣秀吉に攻められ智積院は根来寺とともに荒廃してしまいます。
難を逃れた玄宥‐げんゆう‐僧正と学侶達は、苦難の末に徳川家康の寄進を受け現在の地に智積院を再興しました。
その後『近代師』と讃えられた中興大七世運敞‐うんしょう‐僧正の時代には、全国から雲集する学侶が1000人を超え、
その様は『朝粥をすする音が七条河原まで聞こえた』ほどであったと伝えられています。また仏法研鑚のみならず、八宗兼学、
諸学の道場として天下に『案内より学山智山』とも讃えられた智積院には、『智積院の昼寝』という言葉も生まれました。
これは、修行中に昼寝をしているような者でも勉強になると言う意味で、江戸時代の最高学府であった智積院の面目を
良く伝える言葉です。
明治期には、廃仏殷釈の影響によって再び苦難の時代を迎えましたが多くの僧侶・檀信徒に支えられ今日に至っています。
現在の智積院は、学問と修業道場としての伝統を守りつつ、真言宗智山派3.000カ寺の総本山として、
また仏法や弘法大師の教えを広く
社会に伝える真言密教密教の寺院として活動報告し、参詣する皆様をお迎え致しております。

案内より

講堂はかつて方丈と呼ばれていて、玄宥僧正が現在の京都東山の地に智積院を再興した折りに、徳川家康公より寄贈された祥雲寺の法堂が
基になっています
この祥雲寺ゆかりの建物自体は、天和2年(1682)7月に焼失しました

智積院


金閣(舎利殿) [編集]

通称「金閣寺」の由来となった金閣は、漆地に金箔を押した三層宝形造の建物で正式には舎利殿と称する(金箔を貼るのは二・三層のみ。
ただし最上層のみとする異説もある)。
初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用した特異な建築である。
初層は寝殿造風で「法水院」(ほっすいいん)と称し、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に法体の足利義満坐像を安置する
(安置仏像を「阿弥陀如来」とする資料もある)。
二層は書院造風(武家造)で「潮音洞」
(ちょうおんどう)と称し、岩屋観音坐像と四天王像を安置する。三層は禅宗様の仏殿風で「究竟頂」(くっきょうちょう)と称し、
仏舎利を安置する。
屋根は椹(さわら)の薄い板を重ねた?葺(こけら葺)で、頂上には金銅製の鳳凰が飾られている。
鹿苑寺金閣は国宝保存法により国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧・林承賢(当時21歳)の
放火により炎上(金閣寺放火事件)。
国宝金閣(舎利殿)は全焼、国宝足利義満座像、運慶作の観世音菩薩像、春日仏師作の夢窓疎石像等10体の木像等も焼失した。
なお、頂上にあった鳳凰及び「究竟頂」の額は火災以前に取り外されていたため、焼失を免れて現存し、このうち金銅鳳凰は、
1999年(平成11年)に京都市指定文化財に指定されている。
林は寺の裏山で自殺を図った。彼の母親は事情聴取のために京都に呼ばれ、その帰りに保津峡で投身自殺した。
この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』、
水上勉の小説『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』の題材にもなっている。

現在の金閣は、1904年(明治37年)から1906年(明治39年)の解体修理の際に作成された旧建物の詳細な図面や写真・古文書・
焼損材等の資料を基に、
1952年(昭和27年)から3年を掛けて復元 再建されたもので[5]、1955年(昭和30年)10月10日に落慶法要が営まれた。
その後、再建から10年あまりで金箔が剥落して下地の黒漆が見えるようになり、
その漆も紫外線で劣化するようになったため、1986年(昭和61年)2月から1987年(昭和62年)10月まで1年8ヶ月、
総工費約7億4千万円(当時)を投じて「昭和大修復」が行われ、漆の塗り替えや金箔の張り替え、
天井画の復元等の修復工事が行われた。
この修復工事に際し、金箔は通常(約0.1マイクロメートル)の5倍の厚さ(約0.45?0.55マイクロメートル)の「五倍箔」[6]約20万枚(約20kg)、
漆は国産の「浄法寺漆」約1.5トンが
使用されている。
最上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと伝えられるが、それは誤りであり、複数の板を用いた鏡天井であった[7]。
8代将軍足利義政は祖父の義満が建てた舎利殿に倣い、造営中の東山山荘に観音殿(近世以降銀閣と通称される)を建てた。
銀閣(慈照寺観音殿)、飛雲閣(西本願寺)と併せて『京の三閣』と呼ばれる。

320*2

630*2

2100

340+370


13:56  ごちそうさまでした

デザート 
シャーベットスイートポテト添え

12:09 スタートの一力に来ました

都ホテル京都  四川で夕食

一度見たいと思っていた作品に偶然出会えました
         和紙と光のアート

                勅使門(Chokushimon)

大正2年(1913年)竣工。設計は京都府技師であった亀岡末吉。
檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を唐破風、左右の屋根を入母屋造としています。
また、鳳凰の尾羽根や牡丹唐草、宝相華唐草文様や幾何学紋様など、
細部にまで見られる彫刻装飾は、伝統的和様に亀岡独自の意匠を取り入れたもので、
斬新かつ見応えがあります。

11:52 仁和寺に到着

団体さんの間隙を縫って
      何とか一枚

応永4年(1397年)、室町幕府3代将軍・足利義満が公家の山荘を譲り受け、
北山殿を造営したことが起源。

義満の没後、夢窓疎石を開山として臨済宗の寺院に改められた。
金閣は昭和25年に学僧によって放火され全焼し、

足利義満や観音菩薩像など多くの文化財が消失した。
その5年後に復元され、昭和62年には修復が行われ、昔日の輝きを取り戻した。

10:21

10:08

少し迂回して 10:28 

エレベーターホールの自販機

麩まんじゅう

味噌汁 香の物

生麩の佃煮

麸藤直営のなま麩料理店。
器を開けられた瞬間、お客様から頂く言葉はまず「うわっ奇麗!」
そして「さすが京都だね」…
全席、個室風
彩り豊かな麩箱膳で京雅のおもむきをご堪能下さい。

 ご昼食 : 麩箱膳1000〜3500円の五段階
 左画像は麩箱膳「六華」3500円

 ご夕食 : 麩箱膳1800〜5000円と会席膳
 7000円―(要予約)の五段階

ミルクティー 1100円

夕食前ですがお茶を

スコーン
クロテッドクリームとジャム

案内より

きぬかけの路を通って今回の一押し 仁和寺へ


お土産

840

535


さあ帰りの時刻が・・・・・・

京のひこぼしコース 1980円

南座は、元和年間(1615〜1623年)京都四條河原に公許された7つの櫓の伝統を今に伝える唯一の劇場です。
四条通りをはさんだ7つのうち、明治を迎えたのは2座のみで、明治26年に北側芝居も廃座となり南座だけが
歌舞伎発祥の現在地に残りました。
明治39年(1906年)白井松次郎、大谷竹次郎兄弟の松竹合名社が経営に当たります。
そして大正2年に改築。さらに昭和4年、由緒ある櫓を備えた桃山風破風造りの豪華な劇場を竣工させ、
以来激動の昭和期を通し京阪の代表劇場として多様な演目を取り上げました。

取り分け京の年中行事となった歳末の吉例顔見世興行は戦中も一度も絶えることなく続けられました。

案内より

おてがるコース

四川でお手軽にお召しあがりいただけるディナーコースです。
期間:2011年12月1日〜2012年2月29日

13:37 お茶にします


14:30 妙心寺

14:28 妙心寺駅

1時間の見物でした

遠くの山も目に焼き付けて

金堂(Kondo)
国宝
仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。
慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624?43)に移築したものです。
現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝えるの建築物として、国宝に指定されています。
堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれます。
五重塔(Gojunoto)
重要文化財
寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18m。
東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅に
あまり差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、
大日如来を示す梵字の額が懸けられます。
塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されます。
中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、
その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで
描かれています
案内より
案内より
案内より
案内より
案内より

中門を通って 

北庭(Hokutei)

宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ、南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園です。
斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山に飛濤亭、その奥には中門や五重塔を望む事が出来ます。
庭の制作年は不明ですが、元禄3年(1690年)には加来道意ら、明治?大正期には七代目小川治兵衛によって整備され現在に至ります
黒書院(Kuroshoin)

宸殿の西側に建立。京都・花園にあった旧安井門跡の寝殿を移して改造したもので、明治42年(1909年)竣工。設計は安田時秀。
内部は竹の間・秋草の間など6室からなり、昭和12年(1937年)に堂本印象(1891?1975)が描いた襖絵が室内全体を飾ります。
現在、印象が付けた画題の名がそのまま各室の名称となっています。

仁和寺

12:35 仁王門

11:30出発

青物横丁
8:48
↓京急本線
8:53
品川
9:07
↓JR新幹線のぞみ215号
11:21(13)
京都

出発日:2011/11/28
所要時間:2時間33
片道金額:13,450



自転車で巡る人もかなりいます

上るの??
案内順に進むと出口に出ました。  

案内より

銀河泉(ぎんがせん)は足利義満がお茶の水に
使ったと伝えられる泉で、今も水が湧きだしています。
厳下水(がんかすい)は足利義満が手洗いに用いたと
伝えられる泉です。

夕佳亭(せっかてい)

11:25  45分間の見物でした

見所
北山文化の象徴として国内外に知られる名刹。
金閣は舎利殿として建てられたもの。鏡湖池に臨む三層の楼閣は二層・三層に金箔をはった室町期楼閣建築の代表的例。
庭園は特別史跡・特別名勝に指定されている。
三島由紀夫や水上勉(みずかみつとむ)の小説で知られるように、現在の金閣は昭和25年火災で焼失したものを再建したもの。


拝観時間………9時〜17時
■拝観料…………一般400円、小・中学生300円■住所……………京都市北区金閣寺1
■交通アクセス…JR京都駅から地下鉄「烏丸線」で4分の四条駅から市バス12系統で29分、「金閣寺駅前」で下車。
           徒歩すぐ。

鹿苑寺(ろくおんじ):金閣寺(きんかくじ)

麩箱膳  清水 2500円

吸い物

生麩の田楽   

店の前 道路工事の騒音で聞こえない

今頃? 空気入れてるし

★JR京都駅地下東改札口からA−3番
 出口より東に徒歩4分
★京阪七条駅より徒歩7分

雨天日休業
貸し出し受付時間  午前9時から午後3時
返却時間       午後8時まで
自転車料金(3段変速付き)

平日           700円
土・日・祝・GW・盆   800円

電動自転車      1,500円

連泊の貸し出しも出来ます。
(夜間ホテルなどの駐輪場所のある方に限ります。)
料金は一日料金にかける日数分です。
お手続きには、ご本人を証明出来るものが必要になります。
運転免許証、学生証、保険証、パスポートなどをご持参ください。
京都駅東レンタサイクル

とりあえずお昼にします


品川駅

一日目 曇り

840

1260

三色生麩と茄子の田楽

鴨と九条ネギの小鍋仕立て

海老芋の田楽

お造り2種

結構ランチを食べられる店があるんですね

元々この店の屋号は「万屋」だったそうです。ところが、幕府への遠慮から、仮名手本忠臣蔵では、
この店の「万」の字を二つに分けて「一力」という屋号に変えたようです。そうしたら、この芝居が大当たりを呼び、
それからは、この店の屋号までが芝居の中で使われた「一力」という名で呼ばれるようになったのだそうです。

ぐるーーっと廻って 戻って来ました

建仁寺を左折

犬矢来

11:40 祇園 花見小路をお散歩

10:55 京煎堂で お茶します

八坂神社

中国料理「四川」

建築空間に生きる和紙造形の創造」をテーマに、2700×2100mmを基本サイズとしたオリジナル和紙を制作。
和紙インテリアアートの企画・制作から施工までを手掛ける。
堀木 エリ子
株式会社 堀木エリ子&アソシエイツ 代表取締役
案内より

案内より

イイ感じのサイクリングロード

銀河泉

10:54

参考マップ  
金閣寺から仁和寺に向かいます

自転車で走りながらの景色
     9:30 レンタサイクル店出発




5時でまっ暗

ブランデーティー
案内より

ホテルの割引で3800円

御室桜は遅咲きで、背丈の低い桜です。近年までは桜の下に硬い岩盤があるため、根を地中深くのばせないので
背丈が低くなったと言われていましたが、現在の調査で岩盤ではなく粘土質の土壌であることが解りました。
粘土質であっても土中に酸素や栄養分が少なく、桜が根をのばせない要因の一つにはなっているようです。

1388

525*2

のぞみ 238号 15:42

ホテルのロッカーに荷物を取りに

待合室が混んでいましたのでホームへ

14:47  京都駅着

赤だし  ご飯  香の物

旬菜 盛り合わせ 

生麩、湯葉、京野菜をふんだんに使ったコース〜♪
老舗、半兵衛麸さんより仕入れた生麩、生湯葉を使っております。 おばんざい、京懐石を
リーズナブルな価格でお召し上がり頂けます。



14:25  さて一服しましたから出発しますか

煎茶

御室の桜

 毎年春、仁和寺は満開の桜で飾られます。金堂前の染井吉野、鐘楼前のしだれ桜などが競って咲き誇ります。
その中でも中門内の西側一帯に「御室桜」と呼ばれる遅咲きで有名な桜の林があります。
古くは江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠われております。
 また、花見の盛んな様子は江戸時代の儒学者・貝原益軒が書いた『京城勝覧』(けいじょうしょうらん)という
京都の名所を巡覧できる案内書にも次の様に紹介されています。 「春はこの境内の奥に八重桜多し、
洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、
吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛されております。
大正13年に国の名勝に指定されました。
案内より

きれいな紅葉に大満足

金閣寺に到着   中学の修学旅行以来46年ぶり・・・
10:45

午前中に売り切れるので不安ですが 
わらび餅 茶洛
  購入出来ました
10:30 
    

部屋から京都駅を望む  7時

長ーーーい 通路

6時までゆっくりします。

その後幕府から与えられた東福門院の旧殿・対屋を基に、貞亨元年(1684)に再建されましたが、この建物も昭和22年におしくも焼失しています
 
灌頂道場や各種研修の道場として使用しています。
現在の建物は、平成4年(1992)の興教大師850年御遠忌記念事業として計画し、平成7年(1995)10月に完成
わが国の最高の名作、国宝障壁画が納められています。

 桃山時代に長谷川等伯らによって描かれ、
祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画が智積院には残されています。
「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」等は国宝に指定されています
半兵衛麩とナスの炊き合わせ

お昼は何処にしましょうか・・・


オリエンタルな雰囲気が漂うスペースで本格中国料理を四川料理の統を守りながら、
京都という土地柄を考慮し“あっさり”した味付けに仕上げ健康によい食材や
体にやさしい調理油にもこだわりました。

仁和寺から分下がったところ

お茶に合うお菓子は・・・

見事な松が這っています


落ち葉もきれい

重厚なロビー  
   荷物を預けておでかけ

近鉄線の上に位置します

成り立ち
足利義満が応永4年(1397年)西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸をおいた。義満の死後、鹿苑寺と名付け、寺とした。

今はお店になっている 元お風呂屋さん
10:36

講堂
ポークヒレカツサンドセット 
¥1,100
エビサンドセット
¥1,050

イノダコーヒー  ポルタ支店

京都駅

しばらくでーす  

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